4月15日に行いました事前講座で配布いたしました能「求塚」詞章の現代語訳をご紹介させていただきます。
講師の清泉女子大学准教授・姫野敦子女史から公開しても良いとのお許しをいただきました。
「求塚」現代語訳
【1 旅の僧登場】
ワキ/ワキツレ〽田舎からの長い旅に出て、田舎からの長い旅に出て、都へさあ、急ごう。
ワキ「ここにおります者は西国方面から出て来た僧でございます。わたしはまだ都を見ておりませんので、ただいま都に上っております。
ワキ/ワキツレ〽旅に出て、幾重にも波の重なる海路を浦に沿って行き、波の重なる海路を浦に沿って行き、舟でも行く旅の道。海や山を越えてはるばると、明かし暮らして行くうちに、その名しか聞いたことのない津の国の、生田の里に着いたのであった。
ワキ「急いだので、津の国生田の里とか申しますところに着きました。。しばらくの間、見物したいと思います。
ワキツレ「それがよいと思います。
【2 里の女たち登場】
シテ/ツレ〽 若菜を摘む、生田の小野の朝の風に、やはりいまだ寒さきびしくひるがえる袂だなあ。
ツレ〽 木の芽も張ってふくらむ春なのにあわ雪が降り、
シテ/ツレ〽 森の下草はまだ寒々としている。
シテ〽 山の奥には松の雪さえも消えていないのに、都では野辺の若菜を摘む
ツレ〽頃にも今は、なっていることだろう、思いはせると行ってみたくなることだ。
シテ〽 ここはまた、もとより所も都を遠く離れた
ツレ〽 田舎の人であるから当然、つらいこともあり、それでも命をつないで生田の海辺で、自身のできる限りつらい仕事を続け、まだ春のけはいもない小野に出て、
シテ/ツレ〽若菜を摘む何人もの里人の踏んだ跡なのだろう、雪の消えた所がたくさん野原にできている。
シテツレ〽道がなくなっていたとしても 踏み分けて行って、道がなくなっていたとしても踏み分けて行って、沢にある若菜を今日摘むことにしよう。雪の消える時を待っていたら、若菜もあるいは老いて伸びすぎてしまうこともあろうから。嵐の吹く森の木陰、小野には雪でまだ冷え冷えとして、春らしくもない七草の、生田の若菜を摘むことにしよう、生田の若菜を摘むことにしよう。
【3 僧と女の問答】
ワキ「もしもし、ここにいる人にお尋ね申したいことがあります。生田というのはこの辺をいうのですか。
ツレ〽 生田という名をご存じである上は、お尋ねになるまでもないでしょう。あちこちの様子をご覧になれば、どうしておわかりにならないことがありましょう。
シテ〽まず、生田という名にふさわしいのは、ここに見える林、これを、生田の森であるとは、おわかりにならないのでしょうか。
ツレ〽 また、今お渡りになったのは、有名な生田川
シテ「水の緑も薄く春浅く、雪の間の若菜を摘む野辺の
シテ/ツレ〽 草がわずかの野原であるのなら、それが小野であるとはどうしておわかりにならないのか、わたくしどもの知らないことをお尋ねなさいますな。
ワキ〽 まことに目の前に見える所々、森をはじめとして海や川、一面に霞む小野の景色は、いやまことに生田という名にふさわしいことだ。さて求塚とはどこでしょう。
ツレ「求塚とは、その名は聞いたことがあるが、ほんとうは、どのあたりにあるのでしょう、わたしたちもまったく知らないのです。
シテ〽 もうもし旅人よ、つまらぬことをおっしゃらないで。わたしたちも若菜を摘む仕事の合間ですし、
ツレ〽 あなたも急ぎの旅なのに、どうして、ここにとどまっておいでになりますか
シテ〽 そうそう、昔の歌にも
地謡(シテ)〽『旅人の、道妨げに摘むものは、生田の小野の若菜なりけり』と詠まれていますね、つまらないこと、なにをお尋ねなさるのでしょう。
【4 女達の若菜摘み】
地謡(シテ)〽沢のほとりの、氷はまだ薄く残っているけれど、水中の芹を、水をかき分けて青緑の色のままで、さあ摘もう、青緑の色そのままに、さあ摘もうよ。
地謡〽まだ春になったばかりの若菜には、どのようなものがあるのでしょう。
シテ〽立春になっての朝の野原の雪を見ると、まだ前の年のような気持がして、今年になって生えたのは少ないから、旧冬に生えた古葉の若菜を摘むことにしよう。
地謡〽古葉ではあるが、そうはいっても、年若の若草の一つであろう、気をいれて摘め、春の野辺で。
シテ〽春の野に、春の野に、菫摘みにと言って来た昔の人も、摘んだのは『若紫の菜』だったかしら。
地謡〽いやまことに緑の色に染まっている
シテ〽長安のなずな、
地謡(シテ)〽(唐の都のものだから)これは辛なずな。白み草もある折しも有明のころとて、雪に紛れて、摘みにくほど春はまだ寒く、小野の朝吹く風、また 森の松の雪は滑り落ち、松の枝は垂れ、およそ春らしくもなく白波を立てて川に吹く風までも冷えきって、吹かれた袂もなお寒いこと。摘み残したままで帰ろう、若菜を摘み残して帰ろう。
【5 女が僧を求塚へ案内、由来を語る】
ワキ「申しあげることがございます。不思議なこと、若菜を摘む女の方々は皆お帰りなさったのに、どうしてあなたお一人はお残りになったのですか。
シテ「さきほど求塚のことをお尋ねなさいましたね。
ワキ「その通りです。お教えください。
シテ「こちらへおいでなさい。(塚の前で〉これこそ求塚でございます。
ワキ「さて求塚というのは、どのようないわれでございますか、詳しくお語りください。
シテ「昔、この所に菟名日処女という女がいたが、またそのころ、小竹田男子、血沼の丈夫という者が、その菟名日処女に心を寄せ、同じ日の同じ時に、行き場ない思いをこめた恋文を送った。女が思うには、あちらの意にしたがうならこちらの恨みが深いだろうと、簡単には一方の意にしたがうということもなかったが、あの生田川の鴛鴦を射る二人の矢先は 二つともに、一つの翼に当たってしまった。その時、わたくしが思うには、ああかわいそうにあれほど(鴛鴦のつがいの)契りの深い水鳥までもがわたくしのせいで、さぞかし命は惜しかっただろう、鴛鴦の、つがいのうちの一羽が殺されてしまった、哀れなことよ。
『この世に住むのがいやになった、わが身を捨ててしまおう。この津の国の生田の川の、「生く」の名は名ばかりのことであった』と、
地謡(シテ)〽これを最期の言葉として、この川の波の底に沈んだのだが、それをひきあげて、この塚の土中に葬ったところ、二人の男は、この塚にたずね求めて来て、いつまで生きていられるかと 生田川の、流れる水に対して言い、刺し違えて死んでしまったので、そのことまでわたくしの罪になっている、そのようなわが身を助けたまえと言って、(女は)塚の中に入ってしまった、塚の中に入ってしまった。
【6 里人(アイ)が登場し、僧の問いかけに答えて、菟名日処女と二人の男の悲劇を語り、弔いを勧める。】
【7 僧の弔い】
ワキ/ワキツレ〽一夜ここに寝て、つかのまながら塚の草の、つかのまながら塚の草の、陰より見えた亡霊を、弔う経文を声高く読んで、『南無幽霊成等正覚、出離生死頓証菩提(幽霊よ、迷いを去って悟りを開き、生死の苦界から離れて、すみやかに仏果を得るように)』。
【8 後シテ(菟名日処女)の登場】
後シテ〽 おお、この荒れはてた広い野に人はまれである、わが古墳以外にまた何者がここにいようか。死骸を食い争う猛獣は、去ったかと思えばまたここに来て、塚を見守る人魂は 松吹く風に乗って飛び、稲妻といい朝の露という世のはかなさのたとえはわが眼前に明らかである。古墳の多くは(若くて死んだ)少年の人の墓、『生田』の生くという字にも似合わぬ命。
地謡〽 この世を去って久しいが この世の人の、
後シテ〽 読経の声は ありがたいこと、
地謡〽 ああ この世が恋しい。さて人間は、一日一夜を送る間でさえ、一日一夜を送る間でさえ、八億四千の物思いがある。いったいいつまで草葉の陰、苔の下に埋もれているのだろう。それも埋もれままでいることもできないで、身を焼かれるこの苦しみ、地獄の業火に包まれたわが住みかを、ご覧ください、火宅の住みかをご覧ください。
ワキ〽 ああ、いたわしいご様子だこと。迷いの一念を翻して悟りの道に向ければ、はかりしれない罪をも逃れることができるのだ。『種々諸悪趣地獄鬼畜生、生老病死苦以漸悉令滅(地獄・餓鬼・畜生のようなさまざまな多くの悪の世界や、生・老・病・死の四苦は、すっかり消滅させることにしよう)』。さあ早く成仏なさいませ。
後シテ〽 ありがたいこと、この苦しみがやむことがないのに、お経の声が聞こえて、大焦熱地獄の煙の中に、晴れ間が少し見えることだ ありがたいこと。
恐ろしいこと、そなたはだれ。なに小竹田男子の亡霊だと。また、こちらは血沼の丈夫。(わたくしの)左右の手を(それぞれ)取って、『来い来い』と責めるけれど、迷いの世界の火宅の住みかを、なにを力にして出ることができようか。
また恐ろしいこと、人魂が飛び去って目の前に、飛んで来るのを見れば鴛鴦が、鉄鳥となって鉄のくちばしがあたかも剣のように、わたくしの頭をつつき脳髄を食う。これはいったいわたくしの作った罪の罰なのか、ああ恨めしいこと。
もしもしお僧よ、この苦しみを、いったいどのようにしてお助けくださるのでしょうか。
ワキ〽 いやまことにそのとおり『苦しみの時が今来たのだ』と、言い終わらぬうちに、塚の上に、火炎が一かたまり飛んで来ておおいかぶさり、
シテ〽 その光は人魂の鬼の姿となって、
ワキ〽 むちを振りあげ、(女を)追い立てると。
シテ〽 行こうとすると前は海、
ワキ〽 後ろは火、
シテ〽 左も、
ワキ〽 右も、
シテ〽水火によって責められ 追いつめられ
ワキ〽 どうにもしようがなくて、
シテ〽 火宅の柱に、
地謡〽すがりつき取りついたところ、柱はたちまち火となって、火の柱を抱いてしまったのだ。ああ熱いこと、耐えられない。
シテ〽ともかくも起きあがると、
地謡〽ともかくも起きあがると、獄卒はむちで打って、追い立てるので漂うように歩き出して、八大地獄の数々の、苦しみを尽くすことになる、それをあなたのお前で、懺悔の有り様をお見せしましょう。まず等活地獄、続いて黒縄・衆合、叫喚・大叫喚、炎熱・極熱・無間 その無間地獄の底に、足を上にして頭からまっさかさまに落ちて行く間は、三年三月で、その苦しみが終わって、少し苦しみの合間の時になったかと思うと、鬼もいなくなり 火も消えて、暗闇となったので、今は火宅に帰ろうと思い、さきほどの住みかはどこかしらと、暗さは暗し、あちらを尋ね、こちらを求め、求塚はどこだと、求め求めたどって行ったところ、やっと求塚を求め得たその求塚の、草の陰に置く露は消え、草の陰に置く露の消えるように、亡者の形は見えなくなってしまった、亡者の姿は消え失せてしまったのだった。