舞台の流れ②
【後場】三井寺の僧が千滿(母の子)を伴い登場し、境内に出て月見をする
舞台には三井寺の鐘楼の作り物が出される
1ワキの僧が子方(千滿)を伴い、次第という囃子で登場
次第(シダイ)という囃子はノリのないリズムで演奏され、そのテンポに合わせてゆっくりと歩み出てきます。
今日は一五夜なので庭に出て月見をしようということになりますが、僧は千滿のことを、自分を頼って三井寺にやってきたのだと簡単に紹介します。
能力の活躍
ここでも能力(アイ狂言)が活躍します。
能力は千滿のためにおもちゃ尽くしの言葉を並べた歌※に合わせて舞を披露し、舞い終えると人々が騒めく中に狂女がいることに気づき、僧の指示を無視して独断で狂女を境内に引き入れます。アイ狂言の振る舞いで舞台がとてもなごみます。
これによって三井寺の後場の設定がなされたわけで、いよいよ狂女が三井寺にやってきます。
※おもちゃ尽くしの言葉
いたいけしたるものあり(小さなおもちゃがある)
張り子の顔やぬり稚児(紙でできた人形や陶器でできた塗り物の人形)
しゅくしゃ結びに笹結び、山科結びに風車(いろんな結び方をした風車のことか)
ひょうたんに宿る山雀(ひょうたんに小鳥を配したおもちゃ)
くるみにふけるとも鳥(くるみを突っついている小鳥のおもちゃ)
虎まだらのえのころ(トラ模様の犬のおもちゃ)
起き上がり小法師(達磨のような人形)
振鼓、手鞠や踊る鞠、小弓
2シテの登場と道行
後シテは一声(イッセイ)という囃子で登場し、これはワキの出の次第と違って非常にノリがよく、狂女が踊り狂うさまを現すのにはふさわしい演奏になっています。また”狂女超し”という特殊な演奏がなされることがあり、これは物狂いの興奮した感じをさらに強調する演出効果があります。
後シテの出で立ち
水衣を羽織り、手には笹を持ちます。これは典型的な狂女の姿です。
能「隅田川」扮装は同じです。今回は笠はかぶりません。
後シテの出から終曲まで、能「三井寺」では和歌や漢詩がふんだんに引用され、じつに美しい言葉とリズムによって曲が構成されています。「謡の三井寺」と言われるゆえんです。この詩的な世界が中秋の月光に包まれた琵琶湖湖畔の風景と相まって神秘的な雰囲気を醸しだします。母はこの世界に陶酔し、そのことがさらに狂気へと結びつく、こんな仕掛けを作者は狙っているように思えます。
三井寺に行けば我が子に会えるという清水観音の夢の告げを頼りに、母は滋賀の山を越え三井寺へ必死の思いで目指しています。
我が子への想いがますます昂まり、我をも忘れる興奮状態になって舞い踊りながら三井寺に近づいてくると、そのさまを見て人々は狂女がやってきたと面白がって見物するわけです。
後シテは滋賀の山を越えて目の前に琵琶湖の景色が飛び込んでくるところから始まります。
かなり興奮して目の前の月光で光る琵琶湖を眺め、ますます感情が昂まり、
『子の行方をも白糸の、乱れ心や狂うらん』と言って”カケリ”という所作に移ります。
この”カケリ”は精神が昂揚したときに舞う起伏の激しい所作事ですが、狂女の狂乱の様子がうかがえ面白いです。
その後ようやく三井寺にたどり着くのですが、美しい言葉の謡と囃子方が醸し出すリズムはとても心地よい世界に誘ってくれます。
(物狂いの能について世阿弥は、『思う気色を本位にあてて、狂うところを花にあてて』(風姿花伝)と言っていますが、狂うところを見せ場にして演じる。それが〈花〉になるわけです。子を失った母の悲しみの想いを十分に踏まえ人目も恥も感じない忘我の状態、これをどう演技するかが役者の使命になるわけです。)
橋本雅邦「三井寺」静岡県立美術館所蔵