2月某日
国立劇場の会議室をお借りして、青葉乃会の当日用パンフレットに掲載するために英大夫さんと対談をさせていただきました。
2月の文楽公演で3部の「曽根崎心中・生玉社前の段」を公演された直後、楽屋に伺いました。
お疲れのところを快く対談に応じていただきありがたかったです。
英大夫さんはとても気さくな方で、私も何度か夕食をご一緒させていただいていますが、話の尽きない魅力的な方です。
今回の青葉乃会は特別企画として、文楽の世界から義太夫の豊竹英大夫さんと三味線の鶴澤清介を客演としてお招きし、能と素浄瑠璃の公演を行います。
能で一番大切なことはやはり「謡」です。謡をうまく謡えばおのずと舞ごともうまくできるといわれています。
能の基本はまず謡だと思っています。
その謡をしっかりとらえ直そうという試みが今回のテーマで、公演に先立ち英大夫さんと義太夫の語りについて、能の謡との違いなどのお話をさせていただきました。
その中でビックリしたこと、少しだけ紹介します。
能の世界では謡の教本は出版社が発行しています。謡本はだれでも容易に手に入ります。
謡い方は教わらなければわかりませんが、謡の節附けを理解するとだれが謡っても同じ謡が謡えるようになっています。(これはかなり大雑把な言い方ですが)
でも文楽の義太夫さんたちの教本にあたる「床本」は出版されていません。
どうするかというと、師匠や親の本を譲り受けるか、自分で文字を書いて床本を作るのだそうです。
若い義太夫さんたちはコピーをとったり、古本を探したりするそうです。
床本は実際に舞台で使う大切なものです。床本がなければ舞台に出れないわけです。
一方謡本は稽古するためのもので、完全に覚えてしまえば必要無くなります。
私たち能の世界では、人が亡くなると生前愛用していた謡本を棺桶の中に入れたりします。
風習の違いというのは面白いですね。