6月1日 「女郎花」、「葵上」の事前講座
銕仙会の6月定期公演(6/10)も、あと一週間となりました。
今度私が演じます「女郎花」は公演がまれな作品で、銕仙会に残されている公演記録を調べますと、昭和30年から平成28年までの約60年間で5回しか上演されていません。
演じる側も、見る側も馴染みのない作品となるわけで、
私自身「女郎花」の作品をよく理解するため、「葵上」の演者・観世淳夫さんをお誘いして自主的に事前講座を企画しました。
講師には若手の能楽研究家で、銕仙会ではホームページの曲目解説を依頼しています東京大学大学院生の中野顕正さんにお願いいたしました。
中野さんは先月初めて能楽学会で論文を発表されたようですが、とても好評だったと便りが届いています。
中野さんは今回の講座のためにレジメを作られました。こんな小さな講座にもかかわらず、あまりにも丁寧なのに驚き、その仕事内容に大変感謝しています。
実際の講義においても分かりやすく丁寧な口調で、話す内容がぶれずに、独自の切り口から能を説明されていました。
私もとても勉強になりましたし、当日お越しいただいたお客様は50名ほどでしたが、素晴らしい能鑑賞の手引きとなったとことと思います。
紹介いただいたレジメはA4版で14枚もありました。
今回のブログでは、「女郎花」のレジメに沿って当日解説されたことを私なりに報告してみたいと思います。
・能「女郎花」を読み解く <中野顕正氏レジメより>
①作品の成立について
②典拠

①「女郎花」の作者は、世阿弥の父・観阿弥と同世代の田楽役者・喜阿弥(きあみ)という説があるが、それを証明する裏付けはない。
②「女郎花」の作品の根本的なもとになっている話は、「古今和歌集」の序文(巻頭に書かれた紀貫之による『仮名序(かなじょ)』に書かれている次の文章です。
『男山の昔を思い出で、女郎花の一時をくねるにも、歌を言ひてぞなぐさめける』
中野さんは古今和歌集の仮名序を現代語訳され、この部分を次のように書かれています。
『男山で起こった昔の出来事を思い出して、女郎花がひとときたわむのを見るにつけても、昔の人たちは、歌を詠んで心を慰めたのである。』
「女郎花」の作者は古今和歌集・仮名序のこの一節から物語を作ったのだとされています。
・更新1
じつはこの点について、中野さんからご指摘を受けました。
「女郎花」の作者は、古今和歌集・仮名序の一節からではなく、次の③であげる「三流抄」を基に物語を作ったのだということです。
③古今和歌集序聞書(三流抄(さんりゅうしょう)
中野さんによると、三流抄は鎌倉時代に作られた古今和歌集・仮名序の注釈書で、
この三流抄は戦後にはじめて広く知られ、注目されるようになった(更新2、下線部分)ということです。
(ネットで調べましたら、三流抄が初めて活字化されたのは昭和46年。
「活字になったものには赤尾照文堂から発行された中世古今集注釈書解題(昭和48年)、大阪女子大学から出た雑誌の女子大文学22巻(昭和46年)に収録」)
私が能「女郎花」を調べるため読んだ文献は「謡曲大観(昭和39年)と雑誌観世「女郎花特集」(昭和41年)です。
この二つの文献はいずれも三流抄のことには触れていません。三流抄の存在を知らない「女郎花」の研究書と言えます。
なぜなら能「女郎花」の主人公、小野頼風は能作者の創作した人物と言っていますし、能「女郎花」の物語は古今和歌集・仮名序の一節から作者が創造した話だとしています。
しかし現代では三流抄が広く知れ渡り、能「女郎花」は三流抄を基に創られていることが分かったのです。
『男山の昔を思い出で、女郎花の一時をくねる』
この男山での”昔の出来事”が三流抄には詳しく語られています。
この部分を中野さんは現代語訳して紹介されました。(テキストをご覧ください)
話の内容を要約しますと、
・むかし石清水八幡宮のあたりに小野頼風という男が住んでいた。(頼風は能の作者の創造した人物ではない)
・男は京に住む女と契り恋仲になる。
・男は必ず迎えに来るとの約束を残し、八幡へ帰ってしまう。
・男、八幡で新妻をめとる。
・女は八幡に男を訪ねるが、男に妻がいることを知り、恨めしく放生川に身を投げて死んでしまう。
・身を投げた女のそばには、女が着ていた山吹色の衣が置いてあった。
・その衣を男は形見として持ち帰るが、やがて朽ちてその跡から女郎花が生えるようになった。
・男が女郎花に近づくと、この花は頼風を恨んでいるようで違う方向になびく。男が去るとまた元のように戻る。
・女は死んだ後も自分のことを恨んでいると思った男は、女のあとを追って、同じ放生川に身を投げて死んでしまう。
・その男を八幡宮のある山に葬ったので、その山を男山という。
・この山の麓に女塚があるのは、この女を葬った場所なのだ。
これはほぼ能「女郎花」の内容と同じです。
④三流抄と能「女郎花」の違い
レジメを引用します。〈カッコ内は私の付けたし〉
・三流抄
女は頼風の心代わりを知って入水。(頼風には新妻がいた)
能「女郎花」
女は頼風を誤解したまま入水。(頼風は忙しく女のもとに通う暇がなかった)
能「女郎花」の頼風は、一途に女を愛し続けている。(三流抄の話を)女の誤解ゆえに起こった悲劇として書き換えられている。
このことが「女郎花」を理解しる大きなポイントだと思います。
⑤「邪淫の地獄」と「花の台(うてな)」
中野氏の見解では、
男は邪淫の地獄に堕ちるのですが、女郎花が極楽浄土に咲く花の台となって、二人の愛が救いをもたらした物語だとされています。