ゴールデンウィークは世間の人は遊びに出かけられるので、それにあわせて能の公演は意外と少なく毎年暇なのですが、時々仕事をいただくことがあります。

昨日(5日)は研能会に所属されている加藤眞悟さん主催の「明の会」で、『安宅』の公演がありました。
研能会は梅若万三郎師率いる一門の会です。
私も今年の秋『安宅』の公演を予定していますので、同世代の加藤さんの『安宅』の公演はとても勉強になりました。
同じ作品でも、観世宗家、分家の銕之丞家、喜之家、梅若万三郎家、六郎家とそれぞれ芸風をもち、いわゆる型付けも微妙に異なっています。
「こんなやり方もあったのか」と発見することが多く、いろんな意味で参考になります。
これは役者サイドのことで、ご覧になるお客様にはさほど大きな違いはないかもしれません。
お客様にとっては役者個人の性格というか気質というか、芸風というか、そういった意味での違いのほうが重要なことになると思います。
『安宅』でいえば、シテの弁慶役をとても豪快に演ずる人もいれば、繊細で思慮深く演ずる人もいる、また人間味あふれる優しい弁慶を演じる人もいる、役者の個性の違いが舞台に現れます。
銕之丞家ではどちらかというと豪華な弁慶というイメージが強いのですが、今日の加藤さんは日ごろから冷静沈着、物静かな感じの方で、弁慶役もとても落ち着いた芯の強い演技でした。
僕だったらもっと興奮してしまうだろうなというところを、静かな闘志で演じておられました。
今日の大きな収穫です。
私が今年『安宅』を演じるということについて、先輩からこんなことを言われました。
「安宅の『弁慶』はみんな、おらが大将だと思っていかにも立派に演じているけれど、大将はあくまでも『義経』なんだよ、その関係を忘れたら成り立たないよ」
いい助言ですね。
安宅の弁慶役はもちろん初めてですが、その他大勢の山伏役は何度となくやったことがあります。そのときでさえ自分の演技に夢中になって、主君の義経を命がけで守るという基本的な大儀を忘れてしまうことが多々ありました。弁慶役ならさらのことです。
すぐかっとなって興奮するたちなので、「安宅」に向けて精神修行も重大な課題になりそうです。(笑)
明日は、といっても今日ですが、京都で新作「薔薇の名」の稽古があります。
そのついでに、6月の青山能で演じる「鵺」に関係するところを廻ってこようと思っています。
頼政が自害した宇治の平等院と、二条城近くにある「鵺大明神」です。
パチパチ写真を撮ってきますので、上手に撮れればアップして紹介します。