3月18日 浅見真州の会 屋島 弓流・素働(しらばたらき)・那須与市之語
この日のシテ、浅見真州さんという方は能に対しては独特のセンスをお持ちの方で、装束に関しても細かな配慮ががあって、観る者を楽しませてくれます。
能の修羅物ででてくる武人の出で立ちは、半切袴に法被、烏帽子を身につけて、兜に甲冑をまとった姿を現しています。
この日は法被ではなくて、浅見家が所蔵する鎧模様の側次を着ておられました。
(側次とは法被に袖がないような仕立てのものです。)
鎧模様とは、鎧の部分にぶら下がっている草摺りや、兜のしころにに施されている模様のことを私は言ってるのですが、これはとても珍しい装束です。
鎧を着ているという雰囲気がよく伝わり、面白みのあるものでした。
さて『大事(だいじ)』という小書きですが、一ヶ月ほどまえに書いたブログですこし触れましたが、おもに後シテに大きな変化が現れます。
シテの中入り後、小鼓が使っていた床几をシテが拝借して、その代わりシテが使う葛桶を小鼓に渡します。ようはシテと小鼓の腰掛けるものを交換するのです。
これに気づく人はどのくらいいるでしょうかね。
なんとなく観ていると、案外気が付かないかもしれません。
『大事』は「弓流し」と「素働(しらはたらき)」の二つの小書きをあわせた名称です。
二つとも大小の鼓のアシライによる立ち回りの所作が入ります。
屋島の戦で那須与一が平家の舟の扇を打ち落とした話しは有名ですが、そのあと義経は自分の弓を不覚にも海に落としてしまいます。(平家物語巻11「弓流し」に出てくる話です)
常のやり方では、シテは床几に座ったまま地謡と言葉のやり取りで、弓を落としそれを拾い上げる話しを展開してゆきますが、この『大事』の小書きが入ると、シテが立ち回って弓を落とす様と拾い上げる様を演じるのです。
「弓流」は弓を落とすところを、
「素働」は波に揺られながら弓を拾い上げるところを、所作で現します。
「弓流」では扇が弓の代わりになり、また「素働」では馬にまたがり波に流される様子は見ていて分かりやすいですし、太刀を抜いて平家の熊手を切り払うところなどリアル感があって面白いところです。
このあと太刀を鞘に戻すのですが、面をつけて太刀を鞘に戻すのはこの屋島の小書きの時だけだと思います。シテは太刀など見えないですから、なかなか難しい技なのです!
「弓流」だけを行い、「素働」をしない演出もありますが、
銕之丞家では『大事』の小書きをつけて必ず「弓流」・「素働」の両方を行います。
またこの小書きの時には間狂言が那須与一の物語をすることになっていますが、このことはまたの機会にでも・・・(^_^.)