第2場面 船中での出来事
場所は隅田川の船中に変りました。
ワキの船頭は片袖を脱いで竿を持ち、舟をこいでいる態です。
その前方に旅人と女が座り、船に乗っている様子を表しています。
この場面では、ワキの船頭の語りが聞かせどころです。
旅人が、
『向こうの岸から念仏が聞こえてくるのは、なにが行われているのですか』と、船頭の語りをさそう役割を果たします。
(実はこのワキツレ・旅人の言葉は、下係宝生流のワキ方の能本の言葉で、シテ方の観世流では、
『向こう岸の柳のそばに多く人が集まっているのは、なにが行われているのですか』という内容になって、伝承が異なっています。
もとの内容から、後世の人がいろいろと工夫をして話を変えているのですが、この場合、視覚と聴覚の表現の違いは、聴覚に軍配を上げたいですね。
念仏がどこからか聞こえてくる、このほうが後の話のことを考えるとより効果的だと思います。)
去年の今日、3月15日に起こった事件を語り始めます。
・人商人が都より幼い者を連れてこの地まで下ってきたこと。
・幼い者は旅の疲れによって弱り、自分の素性を明かして、ついにはこの隅田川の川岸でなくなってしまったこと。
・その弔いのために、一周忌の大念仏が行われていること。
などなどのことを、長々と語ります。
この語りは、うまいワキ方が行うと本当に聞き応えがあります。
今回の公演では、宝生欣哉さんが演じてくれます。楽しみの一つですね。
このときシテの母親は、一年前に亡くなった幼子のことを話すワキの語りに聞き入っているのです。
初めはよそごとと聞いていた話が、もしかして・・・、実は、わが子のことだと分かりその場に泣き崩れてしまいます。
この間の母親の心の揺れ具合も注意して観ていただきたいところです。
こんな場面は決して謡本なんか広げて見るところではありません。
武蔵の国での第1場面では、シテの母親は狂女として面白く物狂う姿も見せていましたが、この船中の場面以降からこの母親は、ただ、ただ悲しむ姿を見せるばかりになります。