「自然居士(じねんこじ)」について ⑥ ー自然居士はどんな人?ー自然居士とはどんな人だったのでしょうか、能本から探ってみます。
・自然居士は喝食の稚児姿で現われ、半俗半僧の説教僧。
・説法結願を放棄して、少女を助けに行くという正義感あふれる行動派。
・『身を捨て人を助くべし』 身を捨ててこそ法の道の第一歩が始まるという教義をもって行動する人。
・人商人から命がけで少女を救う、その背後には仏教者としての強い信念がある。
・さまざまな芸に長けた芸能者。
観阿弥本の自然居士 これだけでは自然居士のことはよく分かりませんが、観阿弥本では詳しく自然居士を紹介する部分があります・
自然居士の容姿から、禅寺に入りで喝食の位置までは修行するものの、出家せずに仏門を離れ、喝食姿のままの説教者になったということが分かります。
現行の能本では、自然居士がなぜ寺を飛び出し説教僧として生きる道を選んだのか、このことを説明していません。
現在の能本は観阿弥本を改作した世阿弥本を使っていますが、改作まえの観阿弥本には自然居士の生い立ちが詳しく紹介されています。
『五音』に紹介されている世阿弥がカットした詞章がそれです。
それによると、自然居士は禅寺の中で昇進することをやめ、山間で隠遁者として生きる決心をします。
『我はもと隠遁国の民なり・・・、悪しき友をば近づけず、さればかく身を捨て果てば、静かなるを友とし、貧を楽(たのしみ)とすべき、隠遁のすみか、禅観の窓こそ望むところなれども・・・』
しかし隠遁にも本当の仏教はない、自分の修行にはなるが、人は救えないことを知ります。
『山に入りてもなを心の水の水上は求めがとう、市に交わりても、同じ流れの水ならば、真如の月などか澄まざらん・・・』
ついには隠遁生活から世間に出て人と交わり、「身を捨て人を助くべし」の教義を持ち説教者として生きる決意をします。
『かように思いしより自然心得、今は山深きすみかを出、かかる物狂いとなり、花洛(からく)の塵に交わり、かくかの波に裳裾(もすそ)をぬらし、万民に面(おもて)をさらすも恨みならず、法のためならば、身を捨つる・・・』 (花洛ー京の都)
『自然心得』、この言葉から自然居士と名づけられたようです。
ここからは私の独断と偏見の解釈です。
自然居士は世間から離れ寺に入りますが、寺の現状に不満を持ち(本当は稚児生活に絶えられなかったのでしょうかね)、寺院仏教の中に本当の仏教はないと思い、寺院からドロップアウトして隠遁者として修行をはじめることにしたのです。
でも山の中の一人っきりの生活は寂しかったのでしょう、すぐに花の都に舞い戻ってしまいます。
何よりも美少年でしたし、とんちが大好きなおしゃべり者でしたから、都ではすぐに人気者になり、持ち前の正義感から人助けに快感を覚え、大好きな芸能に磨きをかけて一躍有名な説教芸能者になったのです。しかし、『自分の身を捨ててこそ、法の道の第一歩が始まる』、この教義は決して忘れることはなかったのでした。
次回からは、
「自然居士」を100倍楽しく見る方法! をアップします。
本番までに間に合うだろうか (^_^;)