今日(18日)から国立能楽堂主催の「能楽鑑賞教室」が始まり、
解説、狂言「仏師」、能「葵上」の番組で、一日2回公演、
22日までの5日間で計10回の公演がおこなわれます。
(同じ作品を10回も連続して上演することは、能の世界ではとてもめずらしいことです)
観客は高校生を対象にしています。
今日は初日でしたが、解説、狂言まではみんな興味を持って舞台に目をやっているのですが、
能が始まると、アルファー波による影響なのでしょうか、皆さん実によくオヤスミでした。(笑)
今日はこのほか夜にも、「日経能楽鑑賞会」の公演があり、朝から11時間楽屋に缶詰めになっていました。
我々役者は仕事があることはありがたいことなのですが、ここまでくると気力との闘いという気がします。贅沢な悩みですが・・・
「自然居士(じねんこじ)」について ② ー実在の自然居士についてー
能の「自然居士」では、主人公(シテ)の自然居士は弱者を悪者から助けるヒーローとして描かれていますが、この自然居士は、当時には有名な説教芸能者として実在し、能のモデルになっています。
(「居士」とは・・・出家せずに仏道修行する男子のこと
「説教者」とは・・・半俗半僧で、仏教の教義をおもしろおかしく説き聞かせる者のこと)
自然居士は鎌倉時代に活躍した説教芸能者で、『ささら太郎』とも呼ばれた簓(ささら)の名手とされています。観阿弥が生きた時代の約半世紀前の人物になります。
「天狗草子」(→)には自然居士が風狂の姿で描かれ(中央のひげを生やして踊っているへんなおっさん)ています(笑)。
またここには、
『放下の禅師と号して、髪をそらずして烏帽子を着、座禅の床を忘れて南北の巷に佐々良すり、工夫の窓を出でて東西の路に狂言す』
と、批判的に書かれています。
どうやらこの自然居士は、仏門の人からは排斥を受けてはいるものの、庶民からは人気を集めていた人物のようで、この絵から察するとある程度の年配者の印象をうけます。
この実在した自然居士については、いろいろな伝説が生まれ、また、さまざまな形で伝承されて、能「自然居士」もその一つで、幾多の変遷のあと今の形になったとされています。
しかし、実在の自然居士と、観阿弥が創りだした「自然居士」のイメージとでは大きな隔たりがあります。
観阿弥は実在したひげづらの”おっさん”の自然居士を、美少年の喝食に姿を変えて再生させたのです。 これはすごいことです!!!
そして父・観阿弥の「自然居士」を引き継いだ世阿弥は、美少年の喝食を前面に出した演出を打ち出しました。
能って、ほんとうに面白いですね!
次回は、観阿弥作「自然居士」の自然居士についてこだわってみたいと思います。