能には「子方(こかた)」という役があります。
文字どうり、子供が演じる役や、その役者のことを言うのですが、
(他の芸能の分野ではこの「子方」のことを、「子役」といったりするのですが、能ではなぜか「子方」といっています。)
この子方には二通りの役どころがあります。
・子供の役を子供が演じる
・大人の役を子供が演じる
「子供の役を子供が演じる」
代表的なのが「隅田川」で、、失った子を追い求める物狂い能、その子供の役が挙げられます。
「大人の役を子供が演じる」
源義経を例にとると、少年時代の牛若丸は子方が演じるのですが、成人した義経を子方が演じる時があります。牛若丸は「橋弁慶」、義経は「船弁慶」がいい例です。
大人の義経を子方が演じるのには、たとえば船弁慶の場合シテは静御前であり、知盛であるのですが、このシテの心のうちをよりクローズアップさせるためという理由があるのです。
一方、室町時代にはやった、稚児を愛好する男色趣味のあらわれだと指摘する人もいます。
「邯鄲」の場合、帝王になった盧生の前で祝福の舞を舞うのは、子方ー舞童と型付けでは決められています。しかし、子方がいないときこの役を大人が演じた事もあるようで、役柄としては大人でも成り立つと思いますが、やはり子方の方が断然よいです。
子方の華やかさが舞台を一掃するという効果もあるのですが、このあとシテが舞うときに、この舞童の役を大人が演じると、大人の舞が二つ続いてシテの舞が生きてこなくなります。
子方の舞とシテの舞の対比が面白さにつながるのです。
今回「邯鄲」を勤めていろんな方からお便りをいただきましたが、ほとんどの方が子方のことについて述べられ、良い子方だったとお褒めの言葉を頂戴しました。
中でも、「とても真摯な様子が感じられて、気持ちのよい舞台だった。」という感想もあり、私にとってはこの上もない喜びでした。
上手い下手ではなく、ひたむきに頑張った子方の姿が美しかったのだと思います。
これは子供にしかない『花』だと思うのです。世阿弥はこのことを『時分の花』といっています。
そんなに大げさなことでもなかったのかもしれませんが、そんな『花』を少しでも匂わすことが出来たことについては、大成功だと思っています。
本人の資質も大きな力ですが、この子方と稽古を重ねてきたことが報われたという思いに駆られています。
今回の「邯鄲」の子方は、以前にもこのブログで紹介しました柴田理沙ちゃんです。
私とはたまたま同姓なのです。
初舞台が邯鄲で、これは想像を絶するくらい大変なことなのですが、本人の明るさがそんな不安を吹き飛ばしてくれました!
終わった後、今日は何点だったと聞くと、
全部上手に出来たので、100点!
と言ってました。
恐るべし自信・・・
そんな無邪気さが舞台を明るくしてくれたのだと思います。
しかしザンネンなことに、私はこの子方の姿を面を通してまったく見ることが出来ませんでした。
簡単の枕で横になったとき、面が下がってしまい、それ以降真下しか見えなくなりました。
各席は愚か、舞台の床しか見えないのです。
こんな事態を招いたのも私の至らなさの所以なのですが、今回の舞台での大きな失点になりました。結果として面がずっと曇ったまま(下を向いたまま)になったのです。
面がすこし曇っていたとご指摘された方も多く、理由はここにあります。
これも経験の内だと時分では慰めているのですが、ご覧になったお客様には申し訳なく思っています。
まっ、今後はこんなトラブルがないよう心してかかりますので、これからもどうぞよろしくです!