昨日(9月9日)、横浜能楽堂において「翁」~打ち掛り~という公演がありました。
「翁」には多くの小書きがありますが、この『打ち掛り』という小書きはちょっと変った面白いものでした。
横浜能楽堂 開館10周年記念企画公演
江戸大名と能・狂言
第2回「能の保護と統制」
というタイトルでの上演です。
横浜能楽堂は毎年斬新な切り口で企画公演を行っていますが、今年は江戸時代の能がテーマのようです。
番組は、
この小書きを解説するためのミニ講座・「瓢箪から駒の小書き誕生」と、「翁」。
ミニ講座の出演は河村総一郎師(大鼓、石井流)、山崎有一郎氏(横浜能楽堂館長)、聞き手・葛西聖司氏(NHKでお馴染みの方です)。
じつはこの小書き「打ち掛り」はシテ方のものではなく、大鼓・石井流に伝わる小書きだったのです。(大鼓・石井流は今は名古屋を拠点とする囃子方です)
「翁」は、翁が観世榮夫師、千歳が観世淳夫(あつお)君ー観世銕之丞師の長男、三番叟は野村万蔵師、問題の大鼓は河村眞之介師(総一郎師の次男)。
この公演の小書きについては榮夫先生から、
「これはシテ方に関係するものではなくて、三番叟が始まる時に、大鼓が幕から打ちながら出てくるものなんだ」と聞かされていました。
この話を聞いて仲間内で、「これっておそらく、大鼓方が遅刻して慌てて幕から打ちながら出たのがこの小書きになったのではないか・・・」と話していましたが、まさにその通りでした。
「翁」は大きく分けて、翁の舞と三番叟の舞の二部構成になっています。
翁の舞の間は大鼓は演奏しません。(現在の所要時間は約一時間、翁が半分、三番叟が半分の構成です)
この日の公演では、
翁が幕へ引いたあと(これを『翁帰り』といいますが)、大鼓の河村眞之介さんがやわら立ち上がり、幕の方に向かって歩き出されました。
打ち出しは小鼓(大倉源次郎師)からですが、その調子を受けて大鼓の河村さんは幕際から、「ヨーイ、イヤー」と気勢を上げて打ちながら舞台に歩んでこられました。
その姿は見えなかったですが、ものすごく迫力があってかっこよかったです。
橋掛りから舞台に入ると正面につっと出て、そのまま後に下がって、後見が用意する床机に腰掛けられました。あとはいつもとおなじですが、ここの場面、颯爽としてとても気持ちよかったです。
江戸時代にこの事件が起きたときは、大鼓方は舞台の途中に幕から出てきたようですが、今はそのかたちが伝承され、始めは全員一緒に舞台に出、翁帰りの後、幕の下に行き、この特殊な演出をを行っておられるようです。
このときの大鼓は石井流の家元だったのです。
『江戸城内で「翁」があった時、大鼓の家元が遅参してしまった。そこで、窮地の一策として、途中にもかかわらず、橋掛かりを進みながら打ち続け常座に着き、何事も無くそのまま舞台を勤めた。そして、これを「小書」だとすることにより、遅参による処罰をまぬかれた・・・』(パンフレットより)
こんなことって、当時では切腹ものだと思うのですが、よほどのこの大鼓の家元には力があり、達人だったのでしょうね。
楽屋で河村眞之介さんと少しお話しする機会がありました。それによりますと、
この大鼓の家元は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と三代に渡って仕えた方だそうです。4百年も前の出来事だったのです。
この家元の名前も聞きましたが忘れてしまいました(^_^;)
その伝書が今でも残っているそうです。
今回の公演が江戸時代よりの久々の再演かと思っていましたが、実は今でも時々行われているようです。しかも他流の大鼓方もこの小書きをまねて取り入れられているそうなのです。この派手な演出を好んでいるのですね!
あとひと言、
事前のチラシではこの小書きは、番組のなかで「翁 打ち掛り」と堂々と書かれていましたが、当日のパンフレットには、「翁」の横にはこの小書きは無く、出演者が載っている番組の大鼓と書いてある横に小さく「打ち掛り」とありました。
この「打ち掛り」は観世流の小書きにはない、とおそらく観世流幹部からクレームが付いたのではないのでしょうか。
どうやら事件から四百年経ってもいわくつきの小書きのようです。