能「定家 ~秘めたる恋~」
主題 定家を愛する式子内親王の愛の世界
各場面の説明(私の想像を含めた説明です)
3 後場 同じく墓の前で、定家の執心が蔦葛となって式子内親王にまとわりつく場面
僧が式子内親王の墓の前で読経するところから後場は始まります。
読経がすむと「闇夜の一声」という出囃子が演奏されます。これは「定家」だけに演奏される特殊なもので、死者の霊をあの世から呼び戻す、そんな凄みのある演奏です。
蘇った式子内親王の霊魂はある歌をつぶやきます。
「夢かとよ 闇のうつつの 宇津の山
月にもたどる 蔦の細道」
歌意
冥土から娑婆へ出現する道の心もとなさを、宇津の山の蔦の下道をたどるのに譬えた文句
(夢なのだろうか、今こうして、宇津の山の蔦葛に覆われた細道を月影だけを頼りにたどるように、
弔いの声を頼りに冥途の闇をたどっているのは) 謡曲集下 日本古典文学大系 岩波書店
成仏できない式子内親王は、弔いに惹かれ冥土から暗闇の道をさ迷い娑婆に現れるのです。
この歌について次のような卓見があります。
(「夢かとよ・・・」という禅竹の劇中詠の傑作もまた、式子の「閉じ込められた底」の詠嘆群と響き合う
式子的世界の見事な領略であった。) 「銕仙 研究十二月往来<98>」
つまり、作者の禅竹が歌人としての式子内親王の歌を深く理解し、式子の歌と響き合う歌を詠んだのが「夢かとよ・・・」で、式子内親王の心の世界を禅竹は歌で言い表したということになります。
この歌が禅竹作だと知った時には大変驚きましたし、作者の文芸力のすごさを感じずにはいられなかったです。
さて式子は、定家と睦ましい契りを結んだ在りし日のことを懐かしむのですが、契りは絶え果て一切が無常の世界となってしまったと嘆きます。
そして私の定家蔓に縛られているこの身を見てくださいと姿を見せます。
かつての美女はやつれはてた姿に変わり果てています。
そこで僧は薬草喩品(やくそうゆほん)を読誦すると、定家の執心が解きほぐれ、式子にまとわりついた定家蔓はほろほろと解け広がり、式子は蔦葛の縛りから解放されて自由になったお礼に報謝の舞を舞います。
「おもなの舞の有様やな」と言って舞い始めるのですが、「おもなの舞」とは「恥ずかしい舞」という意味です。
恋に憔悴してやつれはてた今の姿が恥ずかしいという意味だと思います。
非常にゆっくりとした静かな舞を舞います。
自由になった身にもかかわらず、式子内親王は再び墓の中に戻ってしまうのです。
するとまた定家葛にみを縛られ、元の苦しみの世界に舞い戻ってしまいます。
作者の狙いは、式子内親王はたとえ苦しくとも蔦葛に縛られること、つまり、
定家に抱かれ、定家とともに歩んでいくことが式子内親王の幸せ、喜びなのだと結論づけているのだと思います。
能「定家」は動きの少ない曲です。2時間余りかかります。
難しい作品ですが、式子内親王の心のひだを少しでも表現できればと思っております。
以上、おしまい。
式子内親王の墓は塚の作物で表わされています。