能「定家 ~秘めたる恋~」
主題 定家を愛する式子内親王の愛の世界
各場面の説明(私の想像を含めた説明です)
2 前場の後半 式子内親王の墓の前で、定家との激しい愛の物語を語る場面
時雨の亭で旅僧に定家のことを艶やかに話した式子内親王の幽霊は、自分の墓に旅僧を案内します。
その墓は蔦がぐるぐる巻きに覆い、元の姿が見えないほどになっていた。この蔦は式子内親王を失った定家の執心で”定家葛”となずけられていた。
式子内親王は幼くして賀茂の斎院として神につかえた(9歳のころから約10年間)のですが、退下(斎院を降りた)された前後に定家と深い関係を持つことになったのです。皇女として、また神に仕える斎院の立場として、一般人の定家と関係を持つことは許されないことでした。許されない恋、秘密の恋、忍びの恋として愛を深めていたのですが、やがては人に知られるようになり、その苦しみの中に式子内親王は亡くなってしまいます。その後を追うように定家もなくなるのですが、愛する人を失った定家の執心は蔦葛となって墓にまとわりつき式子内親王を離さなかったのです。
ふたりの激しい思いが歌に綴られ、式子内親王は語っています。
式子内親王(新古今集 百人一首選歌)
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらえば
忍ることの 弱りもずする」
歌意
(私の命よ、亡くなるのなら亡くなってもかまわない。この激しい恋を人に知れないように抑えることは私にはできない。あの人との恋は私には許されていないのだから。)
藤原定家(拾遺愚草)
「嘆くとも 恋とも逢わん 道やなき
君葛城の 峯の白雲」
歌意
(恋しい君は、葛城の山に浮かぶ雲のように遠く離れてしまって、いくら嘆いても、もう逢うことはできない)
式子内親王は定家との切ない思い出を語ったあと、自分の墓の中に消えてしまうのです。
式子内親王の墓 般舟院陵(はんじゅういんのみささぎ)京都・千本今出川