【菟名日処女の致命的な一言】
自分が犯した罪によって地獄の責め苦を受けた菟名日処女はこんな言葉を発します。
地獄の責めを受けた後に
『こはそもわらわがなせる科(とが)かや。あら恨めしや』
(このような責め苦を受けるのは、私の犯した罪のせいなのだろうか。なんと恨めしいことだ。)
『恨めしや』とは、今自分の置かれている状況に不満で恨みたいという意味です。相手の仕打ちに対して不満感を訴えているのです。つまり菟名日処女(うないおとめ)は地獄で責め苦を受けることに納得していません。地獄で責め苦を受けるような罪を犯した覚えはない! そう思っているのです。
【菟名日処女が地獄に堕ちた理由】
前場では、処女は二人の男を選ぶのに射術の勝負をさせ、その結果、番(つがい)の水鳥の命を奪った。この罪悪感と射術の勝負をさせてしまった愚かさを悲しみ自ら命を絶った。
この後二人の男の死を誘発したことも自分の罪だと言い切っていました。
しかし、自分は自裁したのだから地獄に堕とされる覚えはないという処女(おとめ)の本性が見えてきました。
自分が犯した罪に対して、魂の救済を求めていない。つまり本当は自分の罪を反省していないといえます。
僧は処女に対して、『一念ひるがえせば無量の罪をものがるべし。』と言っていました。
これは、執着している一念を捨てれば、計り知れない罪からも逃れることができるのだ、という意味です。
自分には地獄に堕とされる罪はない、つまり罪の自覚がない。これが僧の言う『一念』に値することではないでしょうか。この驕慢ともいえる一念を捨てれば『無量の罪』から逃れるだろうに捨てきれないでいる。この一念を持ち続けているために処女は成仏どころか、終わりのない地獄の責め苦を受けることになるのです。これが「求塚」における作者の主題だと読み取ることができます。
【僧も仏力が及ばないことを悟る】
『あら恨めしや』のあと、次のような会話が続きます。
処女『のうのう御僧、この苦しみをば何とか助け給ふべき。』
僧『げに苦しみの時来たると。言ひもあえねば塚の上に。火炎ひとむら飛び覆(おお)ひて。』
拡大解釈して
処女『もうしもうし、お坊様。この苦しみをどうか助けてください。』
僧『(苦しみだけ逃れようとしても、罪を自覚していないあなたには無理なことだ) それ、苦しみを受ける時が来た、と言い終わらないうちに塚の上に火焔のかたまりが覆いかぶさった、地獄の折檻の始まりだ』
僧は処女(おとめ)の心を見抜いてしまった。もはやこの亡霊は成仏できないと。
【永遠と続く地獄の責め苦】
「求塚」の最後の地獄の場面は一番の見どころとなっているシーンです。
火焔や地獄の鬼の責め苦から逃れようと、火宅(地獄の住みか)の柱にすがり抱きついた。すると柱はたちまち火炎となって燃え上がり耐えきれなくなった。(身体は真っ赤に燃えた炭火のように焼けただれ、黒い煙となった)カッコの部分は観世流にはありません。
やっとの思いで起き上がると、鬼に追い立てられ、よろめきながら歩きだした。これから八大地獄の責めが始まるのです。その苦しみを懺悔のためにお見せしましょう。
まず等活地獄、次に黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、炎熱地獄、酷熱地獄、最後は無間地獄に真っ逆さまに堕ちて、三年三か月もの間この苦しみを受け続け、少し苦しみが和らぐと、また次の三年三か月の地獄の折檻が始まり、この苦しみが終わることなどありはしない。仏力によって成仏もできず、永遠の苦しみが続く。
【最後に】
このように「求塚」はとても残酷な物語となっています。
前半の菜摘女が登場する爽やかな世界と、後半の地獄絵巻を立体化したような悲惨な世界との対比を作者は描きたかったのでしょうか。
演者としましては、菟名日処女(うないおとめ)がなぜ地獄に堕とされ、永遠の責め苦を受けるのかという作者の意図をつかみたかったので、テキストから読み取れる答えを拙いながらも模索しました。
しかし私は菟名日処女を決して悪女だとは思っていません。
自分に罪を感じて自裁したのですから、そのままそっとしてあげたい気がします。
「求塚」を演じるにあたって、作者は菟名日処女を許せず地獄に堕としたいのなら、作者の思い通りに地獄に堕ちてやろう、今はそんな解釈でないとこの曲は演じきれないと思っています。