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能「求塚」のあらすじは、二人の男に求愛された処女(おとめ)は悩んだ末に入水した。二人の男も互いに胸を刺し違えて処女の後を追って死んだ。そのために処女は地獄に堕ちて永遠に苦しみを受ける。このような内容です。
前回のブログに書きましたが、二人の男に求愛された処女は自害し、二人の男もあとを追って自害したというのは「菟原処女(うないおとめ)伝説」によるものです。その処女(おとめ)が地獄に堕ちるというのは能の作者の創作です。地獄に堕ちるからには「罪」があるはずです。
能の作者が下した「罪」とは、これを探っていきたいと思います。
処女(おとめ)と二人の男の死を伝える伝説は時代を追うごとに脚色されています。この過程をみてゆきたいと思います。
その流れはこのようになっています。
古代の妻争い伝説→莬原処女(うないおとめ)伝説→求女塚伝説→万葉集→大和物語→能「求塚」
古代の妻争い伝説
【妻争い伝説】一人の女をめぐって複数の男が争い、女は板挟みにあい自害するという説話
・大和三山の伝説
畝傍山(うねびやま)の桜子(嬰児)伝説(二人の男から求愛された女が縊死)
耳成山(みみなしやま)の桂子(縵児)伝説(三人の男から求愛された女が入水)
・真間(まま)の手児奈(てこな)伝説(複数の男から求愛された女が入水)
※真間は千葉県市川市真間
いずれも女が自害するという哀しい物語です。
大和三山とは

( 中国近畿森林管理局HPより)
菟原処女(うないおとめ)伝説
一人の少女をめぐって二人の男が争い、少女は自ら命を絶ち、男二人もあとを追って自害したという伝説。
大和三山の伝説や真間の手児奈伝説の妻争い説話が複合されて、今の神戸・芦屋辺りに伝説が生まれたようです。
※菟原(うない)は今の兵庫県芦屋市あたりの地名
古代の妻争い説話は女だけが自害するのでしたが、菟原処女の説話では、求愛した男二人も自害したと物語が展開してゆき哀れさが増します。
処女塚(おとめつか)伝説
兵庫県東灘区の地に三つの古墳があり、中央のものを挟んでそれぞれ2キロほど離れた所に二つの古墳が向き合って築かれている。
この3基の古墳に菟原処女伝説の3人の塚をあてがった、つまり、
真ん中の塚が自害した少女の処女塚(おとめづか)、それを挟んで東西二つの塚が後追いした男二人の求女塚(もとめずか)。
すでにある古墳に菟原処女(うないおとめ)伝説を結び付けて、新たに物語が展開してゆくことになります。
しかし、この3基の古墳は前方後円墳で築造年代も形式も異なり、かなり身分の高い人の墓だとされており、菟原処女伝説の三人とは全く関係のないことがわかっています。
菟原処女(うないおとめ)伝説の三人と3基の墓が合わさって、奈良時代に歌が詠まれ万葉集に収められて物語が詳しく展開してゆきます。

三つの星マークが古墳跡で、真ん中が菟原処女(うないおとめ)塚、左が菟原壮士(うないおとこ)の西求女塚、右が千沼壮士(ちぬのおとこ)の東求女塚
万葉集 奈良時代7C~8C
3人の歌人が処女塚古墳の前で遠い昔を哀れんで歌を詠んでいます。これによって菟原処女伝説が民衆に浸透していたことがうかがえます。そしてこの伝説の内容が少しずつ見えてきました。
・田辺福麻呂(たなべのさきまろ)
「蘆屋の処女(おとめ)の墓に過(よき)りし時に作りし歌一首」 万葉集1801
要約 菟原処女(うないおとめ)の墓の前で遠い昔を想い哀れむ内容
菟原処女の名前は出ているが、伝説の内容は述べられていない。二人の男のうち一人の名前が出ている。小竹田壮士(ささだおとこ)
※小竹田(ささだ)とは今の大阪府和泉市のあたりの地名で、小竹田壮士(ささだおとこ)とは小竹田(和泉)に住む男という意味
『昔ますらおが互いに争って求婚したという、蘆屋の菟原処女(うないおとめ)の墓を私は立ち留まって見た。この道を行く人は皆、近く寄って墓前に立っては泣き、ある人は声を上げて泣く。遠い昔を思うとこの私も悲しくなった。』(現代語訳要約)
・高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)
「菟原処女の墓を見し歌一首」 万葉集1809 伝説の内容が詳しく書かれている
要約 菟原処女をめぐって二人の男、千沼壮士(ちぬのおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)が求婚する。男ははげしく争い、それに耐えかねた処女(おとめ)は自害し、男二人もあとを追った。家族が処女の墓、その両隣に男の墓を造った。
『蘆屋に住む菟原処女が、幼かった8歳の時から振り分け髪を結いあげるまで、隣人の人にも姿を見せなかった。
男たちは処女の姿を見ようと垣のように処女(おとめ)の家を取り囲んだ。なかでも千沼壮士(ちぬのおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)は先を争い共に求婚した。二人は火にも入る勢いで処女(おとめ)をめぐって戦い、その様子を見ていた菟原処女はとても選ぶことなどできないと思い死んでしまった。
千沼壮士はその晩夢に見、あとを追いかけて逝ってしまった。あとに残された菟原壮士も怒り狂い後を追った。
家族のものが集まり、遠い未来まで語り継ごうと、処女の墓を中央に作り、その両側に男の墓を造った。私は新しい喪に立ち会うように、声をあげて泣いてしまった。』(現代語訳要約)
菟原処女は自害し、求婚した二人の男も自害したことがうかがえます。
そして二人の男の名前も紹介されています。千沼壮士(ちぬのおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)
ここでは菟原処女(うないおとめ)がどのような死に方をしたのかは書かれていない
※千沼(ちぬ)とは大阪府の堺市から岸和田にかけての地名 千沼壮士と福麻呂が詠んだ小竹田壮士は同一人物
菟原壮士と菟原処女は菟原(うない)に住む同郷の男女ということになります。
「墓の上の 木の枝なびけり 聞きこと 千沼壮士にし 依りにけらしも」(反歌)
虫麻呂は処女(おとめ)が千沼壮士を愛していたのだろうと想像しています。
・大伴家持(おおとものいえもち)
「処女の墓の歌に追同せし一首」 万葉集4211 高橋虫麻呂より処女(おとめ)のことがより詳しく述べられている
要約 処女(おとめ)はとても美しく描かれ、両親に別れを告げ海辺に立ち入水した。
『処女の伝説は聞くも悲しい。処女は春の花のように光り輝き、秋の紅葉のように美しい清純な女性として成長した。女盛りでありながら男たちの求愛争いがつらく、父母に事情を告げて家を出、海辺にたたずんだ。波にたなびく玉藻の一節もない、貴重な命なのに、はかない露霜のように消え果ててしまった。』(現代語訳要約)
この歌では自害の手段が入水だと述べられています。
【ここまでのまとめ】
妻争い伝説→菟原処女(うないおとめ)伝説→処女塚伝説→万葉集
美しい菟原処女は二人の勇敢な男から求婚された。男の名は、同郷の菟原壮士と和泉の国の 血沼壮士(またの名を小竹田壮士)。男たちは処女を得るために激しい戦いを起こし、どちらとも選べなかった処女は海に身を投げ、男たちもあとを追って入水した。
処女と二人の男が命を落としたという哀しい物語の伝説があったといえます。
次回は大和物語での展開を見てみます
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