
先日の7月30日、国立能楽堂で八世野村万蔵 三回忌追善が催されました。
生前は野村耕介、万之丞の名前で親しまれていましたが、若干45歳で早世されました。
私とは同世代ですが、いつも先を歩かれていて、ひと回りもふた回りも上の先輩と接しているそんな感じの人です。学生からこの世界に入った私にとっては、キャリアは雲泥の差がありましたが、時には生意気にも「コースケ!」、または「コーちゃん」、あるときには「万之丞さん」、と呼び、そのすべてを受け入れてくれていましたし、いつも気安くお付き合いしていただいていました。
コースケさんは狂言役者だけにとどまらず、失われた芸能の復興(大田楽等)や、様々な芸能のプロデュースを手がけられ〈長野パラリンピックのアトラクションは彼の手によるものです)、大学教授としても活躍されてたようです。
生前にはよく、「俺の肩書きは、大学教授と芸能プロデューサーだ」と、わざと狂言師の名前をはずして自慢げにニコニコしながら言ってました。実際なくなられる前の10年ほどは、舞台で会うことは稀になっていたような気がします。まわりのひとには「俺は45になったら舞台に戻ってくる」といっておられたようで、その公約をはたす直前に他界され、本当に残念です。
4~5年前、コースケさんが創られた「ひたち帯」という新作の能の公演があり、これは常陸の鹿島神社に伝わる縁結びの占いをテーマにして作られた作品ですが、シテは京都の河村信重さん、信重さんの推薦で私が地謡の地頭をさせていただくという機会を得ました。信重さんとは同い年だったこともあって大の飲み友達でしたが、そんな彼も2年前に早世してしまいました。
合掌。
この追善能のことについては次回レポートします。