平成29年5月12日 銕仙会定期公演「忠度」
【舞台に桜の木がない!?】
稽古を重ねていくうちに、つくづく思ったことがあります。
「舞台に桜の木を出したい!」と。
なぜ能の先人たちは舞台に桜の立ち木を出さなかったのか、疑問に思われてしかたがなかったです。
能「忠度」は以前のブログでも書きましたが、時は春、舞台は須磨の浦。
一の谷の戦いで平忠度が亡くなった場所に墓標として植えてある桜の木陰で物語は展開してゆきます。
演じる者もお客様も、実際の舞台にこの桜の木をイメージすることが大前提となるわけです。
たとえば「羽衣」という能では、舞台には松の立ち木が置かれます。
それは舞台となっている三保の浦、天女が衣をかけた松の木のもとで物語は進行するからです。
また「小塩(おしお)」では春の陽気に惹かれて京都の小塩の里に老人(在原業平の霊)がやってきますが、この作品では桜の立ち木を出すかどうかは演者の意図に任せられています。
「忠度」 平忠度の墓標、桜の木に向かって忠度の弔いをなしている場面
この場面は桜の木に向かって木の葉を捧げ忠度のお弔いをしているところです。
この後何度も忠度墓標の桜の木が話題に出てくるのですが、舞台には桜の木はなく、観ている方が桜の木を想像していただけているかとても不安でした。
しかしながら能「忠度」の演出では桜の木を出すことはありません。(私の知る限りにおいて)
余計な説明をせずに、核となるところをしっかり演じるのが能だと言ってしまえばそれまでですが。
「小塩」の桜を出した演出での同じような場面(2014/4/11 銕仙会公演「小塩 柴田稔」
【前シテ装束」
前シテの面は「笑尉(わらいじょう)」、作者は出目満志(でめまんし)江戸後期作
着流しに水衣を着ています。
ワキも同じ装束付けですので、歌人・藤原俊成の一門だったワキ僧には少し粋な鼠色の水衣を着ていただき、
私は海辺で仕事をする老人でしたので茶色の地味な水衣を選びました。
しかしこの老人は歌人で武将の平忠度の霊という設定ですので、色気を出すために着付けは格子模様のものを選びました。
【後シテ装束】
さて、平忠度の登場です。
一の谷の戦いの折、忠度の背負う箙の中の一本の矢に「旅宿の花」という題の和歌が書かれていました。
舞台上でこの和歌を詠んでいるのは忠度ではなく、実は忠度を討った岡部忠澄(おかべのだだずみ)なのです。
同じ扮装の一人の役者が二役をこなすという、能ではよく使われる手段ですが、
忠澄が手にかけた相手をよく見ると一枚の短冊を持っていた。その短冊に書かれた歌を詠みあげています。
能「忠度」のテーマになっている和歌です。
「行き暮れて 木の下かげを 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」
この歌によって討った相手が平忠度であると分かるのです。
今回のチラシに使われていた写真もこの場面です。
修羅能はほとんどみな同じ扮装ですが、このカットを見れば「忠度」だとすぐにわかります。
後シテの面は「中将(ちゅうじょう)」、作者は大和(やまと)江戸初期
着付けは赤地に花模様。袴は白地に青海波模様。片袖を脱いでいる長絹(ちょうけん)は萌黄地に千鳥文様。
着付けが少々派手だったかもしれませんが、歌人としての優しさを訴えるにはこのぐらいの主張があっても良いかなと思っています。
ここから先は私の忘備録として詞章のことについて書きます。
一般の方は読み飛ばしてください(^-^)
【ワキ僧の呼びかけの違い】
シテの老人が登場して桜の木に向かって手向けをしたあと、ワキ僧がシテに向かって言葉をかける場面の詞章ですが能には二通りの伝承があります。
A「いかにこれなる老人。おことはこの山賤(やまがつ)にてましますか。」 (観世流、宝生流) 山賤=きこり
B「いかに尉殿。おん身はこの辺りの人にてましますか。」 (下掛宝生流、金春流、金剛流、喜多流)
これに対して老人が受け答えするのは、
C「さん候、この浦の海士にて候。」 (すべての流儀)
AとCの組み合わせですと、
「お前はこの山のきこりか? はい、私はこの浦の海人です」
となって、受け答えが変です。この場合だと「いえ、私は、、、」にならないと会話が成立しません。
BとCの組み合わせですと、
「あなたはこの辺りの人か? はい、私はこの浦の海人です」
これだと自然な会話となります。
しかもAは上から目線でものを言い、Bは対等の立場で会話しているような印象を受けます。
原本(作者・世阿弥)はおそらくBであったと思われます。
BをAに改作した理由も考えられますが、このブログの意図ではありません。長くなるので割愛します。
今回の公演は、シテ―観世流、ワキ―下宝生流なので、B+Cという組み合わせでした。
【ワキの待謡(まちうたい)の違い】
ワキの待謡にも二通りの伝承があり、そのあとにシテが登場する一声(いっせい)という登場囃子にも二通りの伝承があります。
それに伴い、後シテの舞に修羅能独自のカケリが入るかどうかの違いが生じてきます。
【待謡】
A「夕月早くかげろうの。(繰り返し) おのが友呼ぶ群千鳥。
跡見えぬ磯山の。夜の花に旅寝して。
浦風までも心して。春に聞けばや音すごき。
須磨の関屋の旅寝かな。(繰り返し)」 (観世流、宝生流)
B「袖を片敷く草枕。(繰り返し) 夢路もさぞな入る月の。
跡見えぬ磯山の。夜の花に旅寝して。
心も共に更け行くや。嵐烈しき景色かな。(繰り返し)」 (下掛宝生流、金春流、金剛流、喜多流)
【一声】
A 普通の一声
B 頭越(かしらこし)の一声 (「嵐烈しき」という言葉を受けて非常に激しい演奏から始まる)
【カケリ】
| 待謡 | 一声 | カケリ |
| 観世 | 須磨の関屋の | 普通の一声 | 立回り |
| 宝生 | 須磨の関屋の | 普通の一声 | ナシ |
| 金春 | 嵐烈しき | 頭越の一声 | カケリ※ |
| 金剛 | 嵐烈しき | 頭越の一声 | カケリ |
| 喜多 | 嵐烈しき | 頭越の一声 | カケリ |
| 下宝生 | 嵐烈しき | 頭越の一声 | カケリ |
観世流で「忠度」を公演する場合、ワキ方が下宝生流のときは二通りの演じ方が行われています。
①観世流待謡A+普通の一声+立回り (下宝生流ワキ方に観世流の待謡を謡ってもらう)
②下宝生流待謡B+頭越一声+立回り
②で行うこともあるのですが、今回の大鼓の柿原光博さんから、
[頭越の一声+カケリ」はセットになっているのではないかとのご指摘を頂き、
今回は①で行いました。
研究者によりますと、金春流の演じ方が一番古いのではないかとの事です。
【演じて終えて】
演じ終わった後の感想ですが、前場の組み立てがやはり難しかったです。
武人である以上に歌人としてのイメージを出そうと自分なりに試みたのですが、
修羅物だからもっとはっきり謡わないとだめだと何度も指摘されました。
当日の舞台が一番ハリがあってよかったと言われました。
緊張感からできた事だったのかもしれませんが。
世阿弥の「離見の見」ではないですが、舞台上でいつも自分を客観的な立場に追い込むには想像以上の稽古が必要になると痛感しました。
今日還暦を迎えますが、ますます充実した舞台を創れるように精進してゆきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。