平成29年5月12日 銕仙会公演のために
「忠度」を面白く見るために

能「忠度」は『花』に始まって『花』に終わると言われています。
平忠度は武人でありながら、歌人としての名誉を死の瀬戸際まで大切にしていた。
平家物語はこのような忠度像を創りあげています。
能「忠度」の作者・世阿弥は、この平家物語の忠度像をさらに優雅に創りあげて作品化したのです。
「源平などの名のある人の事を、花鳥風月に作り寄せて、能よければなによりもおもしろし」(風姿花伝・修羅)
「忠度」の場合、この花鳥風月にあてはまるのが”和歌”になるのです。
和歌を愛した忠度の霊は、須磨の浦に植えられた桜の木の下に眠っているという設定で舞台が始まります。
「花」に始まり「花」に終わる能「忠度」を言い表したこんな文章を見つけました。
『「花をも憂しと捨つる身」のワキが、「薪に花を折り添え」た山人(海士)に出会い、
「夕(いうべ)の花の陰に寝」ることを勧められて、そこで「旅宿の花」の短冊の歌の謂れを聞き、
そのことを物語る忠度は「花こそ主なりけれ」(花が自分だ)と告げ切る。』 (謡曲集・新潮日本古典集成 伊藤正義)
能の忠度はテキストは「花をも憂し」の言葉に始まり、「花こそ主なりけれ」の言葉で終わっています。
【舞台の見どころ】
能舞台には何の装置もありませんが、「忠度」の場合舞台は、須磨の浦という設定で、その浦に植えられている一本の桜の木ものとで物語が進行してゆきます。
お客様にはこの桜の木を想像していただく必要があります。これはとても大切なことです。
旅僧がこの桜の木の下で休息していると、老人があらわれ桜の木に弔いを始めるのです。
この桜の木の下には、一の谷の戦いで亡くなった忠度が眠っている、そして自分こそは忠度の亡霊なのだと言って姿を消します。
後半は、この桜の木のもとに忠度が甲冑姿で現れ、一の谷で討ち死にした有様を再現して見せ、この桜の木と一体となって物語が終結するのです。
『行き暮れて 木の下かげを 宿とせば 花や今宵の あるじならまし』 旅宿の花(忠度)
この能の主題となっているのが、忠度の詠んだこの和歌です。
前半に2回、後半に1回。エンディングに「花こそ主なりけり」と一部を引用して、都合4回も繰り返し繰り返し出てきます。
チラシの写真は何度もアップしましたが、
中将(ちゅうじょう)の面をかけた公達が、甲冑姿という設定ですが、
弓矢に付けられた短冊に書かれた歌『行き暮れて、、、』を詠んでいる場面なのです。
忠度は史実の上では41才で亡くなっています。しかも毛むくじゃらなおっさんみたいな書き方がされていますが、
世阿弥は忠度を、気品あふれる武士、しかも文学青年というイメージで創りあげています。
忠度という人物を自分とだぶらせながら作品を構成したのではないかと思っています。
とにかく修羅能でありながら、優美という言葉がふさわしい能、それが「忠度」だ!
そんな気持ちをこめて今回の舞台に臨みたいと思っています。
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