7月2日、渋谷松涛・観世能楽堂に於きまして
先代・銕之亟先生の追善能が催されました。
この記事をアップしようと思いつつ、1週間も経ってしまいました。
この翌日にはバックステージツアーがあったり、バタバタと忙しく、更新できずにいましたが、機を失わないうちに思いついたことを書いてみます。
この日の番組のトップは、「連吟 百万・車之段」。これは八世銕之亟追悼のための手向けの謡で、九世銕之丞師の発声によりわれわれ銕仙会のメンバー全員の連吟によるものでした。総勢29名!これだけの人数が一同に舞台に出るのですから、その景色たるや圧巻だったでしょうね。
先頭には九世銕之丞師、榮夫師が横に並び、その後ろには一門が年齢順で3列に並び、三角形のかたちを作り座しました。
この「百万」という曲は、母親が失ったわが子を捜し求める女物狂い作品で、車の段は、母親の白拍子・百万が群集の前で念仏を唱えながら舞を見せている場面です。
「なむあみだぶ」という念仏から始まり、実はなかなか難しい謡いなのです。始まる前に楽屋内では、それぞれが音が合うかなと気にしていましたが、29人による大合唱、結果は大丈夫だったようでした。この大合唱、きっと天まで届いたことと思います!
ここでちょっと私事。
総勢29人の中で、僕は何番目だろう・・・
座った位置は、一門3列の内、真ん中の列のやや右側。
若い人から数えて11人目。
まだまだ若者の部です!
20数年前に入門した時には、もちろん私が最ヤングで、この間10人の後輩が出来たことになります。年配の方は先代の銕之亟先生をはじめ5人の方が亡くなられており、差し引きすれば全体の数は増えていることになります。
あと10年後、20年後のことを考えると不安な面もありますが、すべてが若手の頑張りにゆだねられています。褌(ふんどし)を締めてかからねば! ( あっ、女性もいた )
この日のメインはなんといっても「鸚鵡小町」です。
一門29人の中で、「鸚鵡小町」の能の地謡に出れるのは8人。その8人の中に選ばれたことはとてもありがたいことでした。
追善能、そして老女物の重習いの曲ということもあり、本番にはそれなりの覚悟で臨まなければなりません。
地謡の一要員として、前列に座り、自分がこの能に対する役割というものを考えます。
まず、地謡の謡として声を出すことに関して言えば、いつも以上に細やかにアンテナを張り巡らして地頭の謡いにあわせます。専門的な言い方をすれば、地頭の息に合わせるということなのですが。
老女物という重い曲の場合、前列は声を出すなという教えもあり、銕仙会の場合そんなことはありませんが、細心の注意が必要なことは確かです。
次に舞台の景色として、お客様に目立つ地謡の前列は目障りになってはいけません。
極端に言えば、石のように動かないことです。
お扇子の取り扱いの時もなるだけ静かに行います。
いつもより本当に大変なのですが、2時間にも及ぶこの日の舞台はそんな辛さを感じさせないいい舞台だったと自負しています。
シテ方も、ワキ方も、狂言、囃子方に至るまで、気持ちがひとつにまとまって、舞台を創り上げていた、そんな思いがしました。
私の立場で言うのも生意気なことですが、全員が舞台に対して謙虚な姿勢で舞台に臨んだという印象を持ちました。先代・銕之亟先生への思いがこのような結果を導いたのかもしれませんし、また今の銕之丞先生に対して熱いエールだったのかもしれません。
こんな快感は一年を通してもめったにありません。それほど良い舞台だったと思います。
舞台が終わったあとはとても充実感があり、お客様に対しては「今日の舞台はどうだ!」という制覇感がありました。これではしばらく拍手できないだろう、拍手があっても全員が姿を消す頃までできないだろうと思っていましたが、が、が、が、・・・・・・
シテが幕にかかる頃に拍手が起こってしまいました(ワキは地謡の中で幕に入ってしまいます)。えっ、ここで拍手ができるの! 終わったあとの制覇感が打ちのめされたかのようで、とても残念でした。拍手は決して強制されるものではありませんが。
今週の水曜日、銕仙会の舞台で青山能がありました。谷本健吾君がシテの「巻絹」、若手中心の舞台でしたが、この日の拍手はシテ退場、ワキ退場、地謡・囃子方退場、一番最後に起こりました。
この二つを比較すると、なんだか複雑な思いがします。
追善能、バックステージツアーと連チャンでお越しいただいた方も多く、ここに改めてお礼申し上げます。<(_ _)>
これに加えて、青山能にもお越しいただいた3連チャンの方がた!、重ね重ねのお礼です。
ありがとうございました。 <(_ _)> <(_ _)>