第16回青葉乃会
日時:平成28年12月18日(日) 午後2時始め 於:宝生能楽堂
〈番組〉
解説 「本日の演目について」 増田正造(武蔵野大学名誉教授)
仕舞「誓願寺・クセ」 観世銕之丞
狂言「鏡男」 山本東次郎ほか
能「砧」 柴田稔ほか
〈能「砧(きぬた)」 ~閨怨(けいえん)の秋~〉
・曲名になっている”砧”ついて
観世流「砧」に使う小道具の”砧”
砧とは衣を柔らかく着やすくするため、布を台の上に置き木槌で打ちあげる道具のことを言います。
私たち観世流の流儀では、写真のような小道具を舞台に出し、木槌の代わりに扇で衣を打つ所作をします。
いにしえ、庶民の衣は麻のようにごつごつとして硬いものが多く、砧で打つことによって布が柔らかくなり、目が詰まって風を通しにくくなり、また光沢が出て美しい衣に仕上げる事が出来たといいます。
冬を迎えるため、女性にとっては大切な秋の仕事となっていたようです。
能「砧」の主人公は、九州の筑前国、芦屋の領主の妻ですから、このような庶民の行う砧の仕事とは無関係な立場にありますが、耐えきれない想いを慰めるため砧を打つことになります。
秋の夜長、この砧を打つ音を聞いて中国の故事を思い出したのです。
その故事とは、
蘓武という前漢の武帝の忠臣が故国に捉えられ、19年の後にようやく国に帰れたのですが、その時、故郷にいた妻や子が故国の夜寒を思いやって、高楼に登って砧を打ったら、その音が万里の外である蘓武の耳に届いた、という話です。
自分も砧を打てば、この想いが夫に届くかもしれない、とにかく心を慰めるため砧を打ち始めたのです。
能「砧」には、冴えきった秋の夜に響く砧の音、夫に届けと空に流れる風に託す想いなど、詩的な文章でいたるところで描写されています。
妻が孤閨を怨む想いと、砧に託す想いが重なり合いながら舞台は進行してゆきます。
しかし、蘓武は砧の音を聞いた、私の夫は聞いてくれなかった。
これが作者のこの作品を作り上げた大きなテーマでもあったのです。
後場では、砧を打った音が、地獄の鬼が自分を打ち攻める音に変わってしまいました。
締めくくりの一節がこれです。
『君、いかなれば旅枕、夜寒のころも打つつとも、夢ともせめてなど、思い知らずや、怨めしや』
能「砧」は、ひとり寝を嘆く閨怨の秋をテーマにしていますが、同時に、砧を打って孤閨を慰める女の心を描こうとした、このことがとても重要な役割をなしている作品だと言えます。
次回は、作者の世阿弥が訴えたかったこと、このことについて考えてみます。