ル テアトル銀座 での地謡側から客席を眺めた景色です。
「紅天女」はなんといっても、天女が現れるところがメインですし、その天女の神々しい舞に観客をいかに惹きつけるかが、演者側の課題だと思います。
舞台上での軽妙で可憐な舞においては追従を許さない、梅若六郎師ならではの天女の舞はまさに適役という他はありません。
ご本人も天女の姿にはいろいろと工夫を凝らされていたようで、今回のため新たに新調された白地に鳳凰が施された舞衣をベースに変化をつけられていました。
中でも今回の2度目の公演(二日目の昼間の公演)では、これまでに無い印象を与えておられました。装束は同じなのですが、面がいつもとぜんぜん違っていました。
この公演以外では、天女の面は若い女の面立てでした。「蝉丸」、「万媚(まんび)-チラシなどに載っている面です」、「蝉羽(せみのは)」というものです。
二日目の公演では、「泥眼(でいがん)」の面をつけられていました。この面は女人が成仏して菩薩となった時の相貌をあらわし、能では「海士(あま)」、「当麻(たえま)」などの後シテに使われます。(人気曲「葵上」の前シテ六条御息所の生霊の面として使われてもいますが)
この面を使うことによって、紅天女は神格化され、非常に格調高いものに昇華されました。
梅若六郎師のイメージのひとつとして、女神的存在の「紅天与」があったのだと思います。
なぜこんなことを言いたかったのかというと、
この日の楽屋で、六郎師が、
『昨日終わってから「コージーコーナー」でお茶を飲んでいると、観ていたお客さんに会ったんだよ。その女性、今回の3回の公演全部見るんだって、前の大阪の時も、国立の時も全部見ていたんだって、すごいよね!』
いつものニコニコ顔で、このようなことを仰っていました。
私が考えるに、六郎師はこの人のために演出を変えたのではないかな、と思うのです。せっかく3回とも観に来てくれるのだからと・・・
あくまでも私の憶測ですが。もちろんこの演出は最初から意図されていたとも考えられますが、
この人との出会いが契機になって、思いが強くなったとは十分推察されますし、そう考えたほうがおもしろいです!? 一人の熱心な観客の思いが演者に伝わったと・・・
実はこの女性、このブログにTBやコメントを寄せておられる『紫苑』さんだったことが判明しました。彼女のブログの記事の中に六郎師とコージーコーナーでであった事が書かれています。
(このブログに以前からコメントを頂いている紫苑さん、今はshionというHNでコメントを頂いていますが、この方とは別人です)
この『紫苑』さんの事は、あとで中村暁さん主催の懇親会で、美内すずえさんからも話題が出ました。この事はまた次回に!
彼女からのコメントの質問に、ここで答えておきます。
「一真が一度取り落とした斧を再び手にして、阿古夜の宿る梅の木を伐る前に念じ地謡と交互に4回唱える念仏?「おんそやそわえいれいそわか」???メモを取りませんでしたのでよく覚えていないのですがあれは金剛般若経になるのでしょうか?正確にはなんのお経でしょうか?」
これは初演の申し合わせの時に急に決まったことで、皆さんがお持ちの台本には書かれていません。
『オンソラソバ、テイエイソワカ』
一真、地謡、一真の順に3回唱えています。
これは密教における、弁財天の真言だそうです。(国立能楽堂の関係者の方に聞きました)
PCでもこの言葉で検索できます。
次回は「紅天女」が上演にこぎつけるまでのいきさつなど、美内先生やプロデューサの中村暁さんの言葉を思い出しながら書いてみます。
また美内先生本人が指摘される問題点などもアップします。