能「小塩(おしお)」
遠い平安時代、在原業平と藤原高子(二条の后)は京都の西山連峰にある小塩(おしお)山大原野で、17年ぶりに再会しました。
その時に業平が詠んだ歌
「大原や 小塩の山も 今日こそは
神代のことも 思いいずらめ」
(二人が愛しあっていた若い時のことを懐かしんだ歌です)
この歌を本説に能「小塩」は作られています。
3月29日 能「小塩(おしお)」謡跡巡り
いま京都に[能ジャンクション〜葵上〜]という公演で来ています。
合間を見て能「小塩(おしお)」の舞台となっている小塩山麓の大原野神社と十輪寺を訪ねました。
小塩山大原野は京都の西山連峰にあり、北方は嵐山へと続きます。
阪急電車の東向日からバスで20分ばかり田舎道を走りました。
♦︎大原野神社
業平と二条の后が再会されたとする場所です。
都が平城京から長岡京に遷都されたとき、藤原氏が氏神の奈良春日社の分霊を勧請して造営されたのが大原野神社。
清和天皇の妃となった藤原高子(二条の后)が大原野神社に参詣したおり、右近衛権中将だった在原業平が行幸に付き従い、「大原や〜」の歌を読んだとされています。
業平と高子が恋仲にあって二人が駆け落ちしたのが、業平35才、高子18才の頃。
高子が大原野神社に参詣した時は35才。業平が52才。
じつに17年ぶりの再会となったわけです。
大原野神社は京春日とも呼ばれ、建築様式は春日社と同じだそうです。
社殿の前の狛犬も雄雌の鹿になっていました。
この大原野神社のすぐそばに、能「西行桜」の舞台となっている勝持寺(通称花の寺)があります。
ここにも立ち寄りましたが、残念ながら西行桜はまだ咲いていませんでした。
♦︎十輪寺
ここはJR東海が今春キャンペーンの、「そうだ、京都行こう」で取り上げられている桜名所です。
業平は高子と再開したあと、この十輪寺で晩年を過ごしたとされています。
銘木の業平桜が満開となっていました。
十輪寺本堂
十輪寺から見た小塩山
業平が焼いたとされる塩釜
業平は浪速から海水を運び、ここで塩を焼いたそうです。
その目的は、二条の后が大原野神社に参詣する時に塩を焼き、その時に上がる煙を二条の后が見て、二人が秘かに心を通わせたと言うことです。
本当かどうかはわかりませんが、ステキなお話ですね。
業平の墓