・「羽衣」の間違い
今日は能の作品の中でも、最も上演回数が多く、昔より人気曲の「羽衣」の間違いを紹介します。
羽衣は謡の稽古をしておられる方であれば、誰もが謡われている作品です。
間違いの場所は、羽衣の最後の部分。
「東遊びの数々に。~~~~。」
仕舞でもよく稽古する部分ですので、そらんじておられる方も多いと思います。
『東遊びの数々に。(繰り返し)
その名も月の、色人は。三五夜中の空にまた。
満願真如の月となり』 (羽衣の詞章)
この中で、「満願真如」は「満月真如」の間違いなのです。
これは能のどの参考書にも指摘されていますが、ご存じだったでしょうか。
我々観世流だけかと思っていたら、五流(観世、宝生、金春、金剛、喜多)すべての流儀が「満願真如」としているようです。
この部分の現代語訳はどの参考書にも「満月真如」の意味として訳されています。
『東遊びの舞を数々舞ううち、この月に住む天女は、十五夜の月が照らす夜空に舞い上がり、真如を示す満月の光となって輝き』
ざっとこんな意味だと思います。
ここでは「満願真如」という意味では筋が通りません。
「満月真如」は「真如の月」から生まれた言葉だとされています。
「真如の月」とは、真如(絶対真理)が一切の迷いを破ることを、月が闇を照らすのにたとえ た言葉と辞書では説明されています。
ではなぜ能の謡本では「満月」が「満願」になったのでしょうか。
多くの研究書が指摘していることですが、能の謡の発音において、
「満月」は(まんぐぁつ)と発音し、(つ)の部分を口を閉じて発音することが多いのです。
その結果、「満月」は(まんがん)と聞こえます。
謡本が伝承されていく過程で、いつの間にか「満願真如」と表記されるようになったのではないかとしています。
岩波の謡曲集によりますと、
江戸時代初期までは「満月真如」と書かれた謡本があり、それ以降は「満願真如」となっているとありました。
始めに書きましたが、羽衣は最もポピュラーな作品で、特に「東遊びの~」の部分は誰もが何度も謡っている箇所です。
いまさら訂正するわけにはいきませんね。
「わかっちゃいるけど、やめられない!」
今日はこのオチでおしまい。(^o^)
富士山とともに三保の松原が世界文化遺産に登録されたこともあり、今後ますます上演される機会が多くなると思いますが