昨日は銕仙会の例会でした。
能「七騎落(しちきおち)」 大槻文蔵
狂言「縄綯(なわない)」 山本則直
能「項羽(こおう)」 観世銕之丞
この日の能は2番とも「船」に乗る場面が出てきます。
しかし舞台には船は出てきません。今日はこのからくりについて少し説明をしておきます。
「七騎落」は、源頼朝が平家討伐のための初陣、石橋山の戦いでの物語です。
多勢に無勢力及ばず頼朝ら一行は、真鶴から安房(あわ)の国(千葉県南部)へと船で落ち延びていきます。頼朝をはじめ主従あわせて八騎。しかしこの“八”という数字が不吉として、ひとり下船せよとの命令がくだされます。家来の土肥実平(シテ)は敵を目の前にして幼い息子・遠平(子方)を船から降ろすことに。主君の忠誠のため子を失う実平の煩悶がこの能の見せ場です。最終的にはこの遠平は味方の和田義盛に助けられ、無事親子の再開を果たし、実平が喜びの舞を舞ってこの能の結びとしています。
さて「船」ですが、頼朝一行が船で落ち延びるところの会話、
頼朝 『余りに味方無勢にある間。一まづ安房上総(かずさ)の方(かた)へ開こうずるにてあるぞ。急いで船の事を申しつけ候へ』
実平 『畏まって候。とくより御船の事を申し付けて候。急いで召されうずるにて候』
こうして主従八人は、ワキ座から地謡、囃し方の前にと一列に並んで着座します。
このことが船に乗ったことを意味し、舞台は陸から船上にと場面が変わっています。
船は目に見えません。
舞台の役者は船に乗ったつもりでいます。ご覧になっているお客様も、8人乗り切る少し大きめの軍船をイメージしていただかなくてはなりません。
他の芝居ではこんなときに舞台がくるっと回って、たちまち船の景色に変るところでしょうが、能ではそうは行きません。8人乗りの船を出すこと自体、能舞台では不可能です。
上の頼朝と実平の会話を聞き逃すと、ただ8人が舞台に座っている、それだけにしか見えません。
しかし舞台が進行していくにつれ、実平や遠平の心の葛藤が浮き彫りになり、周りの景色なんて見えなくなってきますし、あればかえって邪魔になります。
こんなところも能の不思議な魅力のようです。
「船」は見えなくてもなんら差し障りはありません。
「項羽」ですが、史記に出てくる項羽の話で、七十度にも及ぶ高祖との戦いに勝利を収めていたものの、最後は味方の裏切りによって破れ、愛妻の虞氏は自害し、自らも首を掻き落とし果ててしまう、この悲話を能に作り上げています。
後場は虞視と項羽の亡霊が現れ、戦での修羅場の様子を再現して見せ、
前場は項羽の化身が現れ、項羽の最後の戦いや、虞氏の墓から美人草が生えたいわれなどを語り、弔いを願って消えていきます。
ここでも「船」が現れます。
前場で、川を渡ろうとする草刈男たちの前に、項羽の化身は船人の姿になって現れ、彼らを対岸まで運びます。
シテは右手に棹を持って現れます。
またもや「船」は目に見えません。
実は能ではこの棹を持っていることが、船に乗っている事をあらわしています。(この日は船を出さない演出でしたが、作り物の船を出すこともありますが)
これは能の約束事なので、是非覚えていて下さい。
この船に草刈男は乗るわけですが、ここでも目の前には不思議なことが起こっています。草刈男は二人います。ワキとワキツレ。
ワキだけがシテの近くに歩み寄り、着座して船に乗った様を表しますが、一方のワキツレはもとの場から動かずに、一人ぽつんとその場で着座します。
見た目にはワキツレだけが置き去りにされたとしか思えないのですが、
これはワキツレが船に乗せてもらえなかったわけではなく、
シテとワキとの関係で、ワキツレが邪魔になるのでわざとワキツレを動かさないのです。
これは能独自の手法で、ワキツレもちゃんと船に乗っていることになっています。
ならば、最初から草刈男は一人にすればいいと思うわけですが、これは昔からの決まり事で、それこそ動かせないことのようです。