二つの念仏能[百万]は清涼寺で行われていた嵯峨の大念仏の場に、我が子を探し求める女曲舞師・百万が訪れ、念仏の法会に集まった多くの人々の前で念仏の音頭をとり、曲舞を見せて注目を引き、その民衆の中から我が子を見つけ出すというお話でした。
百万は奈良の西大寺で我が子を見失い、清涼寺へと探し求めるのですが、
なぜ清涼寺かというと、清涼寺で行われていた嵯峨の大念仏は、捨て子だった円覚上人[僧・道御(どうぎょ)]が母子再会を祈願するために起こした念仏だったからです。
(能「百万」について ④ 嵯峨の大念仏)《嵯峨清凉寺地蔵院縁起》によれば、この時円覚上人は「母見た」と唱え、聴衆も繰り返して「母見た」と唱えたのだといいます。
(能「百万」について⑥ 舞台は清涼寺)能「百万」では大念仏を想定した場面で、「母見た」が訛ったことば「サーアミサー」という呪文と、『南無阿弥陀仏』と『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ』という呪文が唱えられます。
この『南無阿弥陀仏』と『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ』の意義を見出したのが、松岡心平氏です。(今月の銕仙会のパンフレット、十二月往来〈298〉、[「百万」と南都律宗]の論文)
銕仙会のホームページで近々この論文は掲載されますが、松岡氏が述べられた「二つの念仏」についての要点だけを説明しておきます。
[「百万」と南都律宗] ~二つの念仏~・『南無阿弥陀仏』は京都・清涼寺の信仰の中心だった阿弥陀信仰の念仏。
・『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ』は奈良・唐招提寺、西大寺の信仰で釈迦信仰の念仏。
奈良で釈迦信仰を唱える円覚上人[僧・道御(どうぎょ)]の宗派が、京都に進出し、京都の阿弥陀信仰を統合して二つの念仏の合体が行われ、嵯峨の大念仏が始まった、このことを能「百万」に反映させた。
これが今までの研究の中で、だれも指摘されなかった松岡氏の新たな見解です。
能「百万」の作者の意図をこのように書かれています。
<能「百万」には、①南都で流行した釈迦念仏が律僧導御により京都進出を果たし京都を席巻したように、②南都の女曲舞百万(世阿弥五音)の京都進出、ひいては③観阿弥・世阿弥たち大和猿楽による京都と制覇さえもが寓意されている>(本文抜粋)数字は私の補足です。
この論文で主張されている見解はじつに画期的なことだと思います。
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