「百万」 ~子を尋ねる母の物狂い~
能「百万」は始めから終りまで、清涼寺の境内が舞台となっています。
多くの民衆の前で、女芸人・百万が念仏踊りやら曲舞を見せているのですが、能の舞台では、客席にいるお客様をこの民衆と想定して展開していきます。
「百万は古い能だと言われていますが、これは見ている人と一緒になって舞台を進めていくという、仏教の唱導的な役割を果たす一面を残しているからではないかと思います。
このことは「百万」の一番最初のところによく現れています。
・「百万」の念仏
大念仏を見るため、お坊さんが稚児を連れて舞台に現れるのですが、百万を呼び出すため寺の門前がわざと下手な念仏を唱えると、女芸人・百万はその下手さに我慢できなくて、門前の者の顔を笹で払いたたく場面があります。
この時のやり取りです。笹で顔を払われて、
門前の者 「蜂が刺いた。」
百万 「あら悪の念仏や、、、」
おどけた門前の姿をみて、当時の観客はどっと笑いが出たのではないでしょうか。
このあと、百万が念仏の音頭を取るのですが、この時能では太鼓の演奏が入ります。※1
太鼓が入ると規則的なリズムが生まれ、つまり手拍子のリズムが生まれるのです。
この手拍子のリズムに乗って、百万が「南無阿弥陀仏」と唱えると、民衆を代弁する地謡が同じく「南無阿弥陀仏」と繰り返します。
当時の観客は地謡と一緒に念仏を唱え、手拍子をしながらこの場面を楽しんでいたのではないかと想像したくなります。
能「百万」は、観阿弥の「嵯峨物狂」を世阿弥が改作した作品だということがわかっていますが、
この場面などは、観阿弥が作った[嵯峨物狂」が活かされているところだと思います。
・門前の唱える念仏 「さーあみ、さーあみ、さーあみさー」
百万を呼び出すために門前の者が唱える念仏は、
「南無釈迦、牟尼仏(むにぶつ)。南無釈迦、釈迦。釈迦釈迦、釈迦釈迦。」※2
これを地謡と交互に唱えたあと、
「さーあみ、さーあみ、さーあみさー」とひとりで繰り返し、この途中で顔を叩かれて「蜂が刺いた」となるわけですが、この「さーあみ、さーあみ、さーあみさー」とは不可解な言葉です。
これは「阿弥陀仏」が訛った言葉とも、または、
嵯峨の大念仏は、円覚上人が母との再会を祈念して始まったのですが
(『能「百万」について④』)、この時の念仏は「母見た、母見た」と唱えられたそうです。(嵯峨清凉寺地蔵院縁起)
「さーあみ、さーあみ、さーあみさー」は、この「母見た、母見た」が訛った言葉だともされています。
今の清涼寺で行われている大念仏は、「ハハァミータ、ミータ」と唱えられているようです。
※1(能では太鼓は舞楽を舞うため、または亡霊が登場するときなどに演奏されますが、これらは必ず能の後半部分に行われるのですが、「百万」に限っては初っ端から演奏されます。)
※2(この念仏は狂言方の流儀によって違いがあり、今回は観世寿夫師の伝承に基ずいて狂言方の了承を得てこのやり方で行います。)
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