「百万」 ~子を尋ねる母の物狂い~
能を観るとき、能が出来た室町時代と現代では当然ながら時代背景が大きく変わっています。
当時の人々には当たり前のように思われていた事柄が、今ではまったく理解できないことがいっぱいあります。
たとえば「百万」と聞いて室町時代の人は、「あぁ、あの有名な女芸人のことだな」とすぐに思い浮かべることが出来たと思いますが、現代の私たちには無理です。「百万」という女性は、今でいうと「美空ひばり」と同じくらい天才的な歌手であり、女優であったのかもしれません。
能を観る前に、昔と今の溝を埋める必要最低限の試みを、拙文ですがこのブログで行おうとしています。
これまで能「百万」にかんしては二つのことを挙げました。
・主人公の女芸人、百万について。
・百万が得意とした曲舞(くせまい)について
今日のブログでは、能「百万」の舞台となっている、嵯峨の清涼寺での大念仏について紹介してみます。
・嵯峨の大念仏
嵯峨の清涼寺・釈迦堂での融通大念仏は、弘安2年(1279)に円覚上人(1223-1311)が始めたとされています。
毎年3月6日より15日にかけて行われ(旧暦ですから、今だと4月上旬、春も真っ盛りの頃です)、そのようすは
「洛中辺土の道俗男女雲のごとくにのぞ み、星のごとくにつらなりて群集」したと書かれています。《融通念仏縁起絵巻》
また円覚上人は幼くして母に捨てられ、その後は寺に養育されて、生き別れとなった母との再会を祈念するためにこの大念仏を始め、はたして50才の時に母と再会したようです。《嵯峨清凉寺地蔵院縁起》
このことは当時の人であれば、だれもが知っていたことだったと言われています。
ですから嵯峨の大念仏と聞いて、人々は円覚上人を思い浮かべ、この「百万」という能は母子再会の芝居ではないかと、観る前に想像できたことになります。
能「百万」では、まず最初に僧が稚児を伴って現れ、これから嵯峨の大念仏に行くところだという設定になっています。
この稚児を母に捨てられた円覚上人とだぶらせているという見方もできます。
僧ははじめに、「竹馬(ちくば)にいざや法(のり)の道、真(まこと)の友を訪ねん」という謡を謡います。
この意味は、「幼い時から仏門に入り、真(まこと)の友を、法の友を得よう」とピうことだと思うのですが、この謡は古くはワキの僧と稚児が同吟していたと研究書には書かれてあり、私の頂いた観世銕之丞家の型附けにも、子方がこのところを謡うと書かれています。今では行われていませんが、ワキの僧が稚児を連れて現われる作品は数ありますが、僧と稚児が同吟するのは非常に珍しいことです。
この稚児がたんなる稚児ではないことの表れだとみてよいのかもしれません。
能「百万」というは、観阿弥の作った「嵯峨物狂」という作品を、世阿弥が改作したものだとされています。
しからば観阿弥は、円覚上人が起こした嵯峨の大念仏を主題にとって「嵯峨物狂」を描き、それに世阿弥が百万という曲舞の女性を加えて「百万」という能に仕上げたということが分かってきました。
観阿弥の生没は1333年~1384年。世阿弥は1362年~1443年。
観阿弥にしろ世阿弥にしろ、嵯峨の大念仏や曲舞の百万という、当時はやりに流行ったものをいち早く能に取り入れ、民衆に見せていたことになります。
これを見た人々はさぞかし楽しかったのではないでしょうか。
今の私たちが能「百万」を理解するために知っておく3つのポイント
①百万という有名な曲舞の女芸人
②拍子に合わせて舞う曲舞
③母子再会を祈念する嵯峨の大念仏
この3つのポイントが分かっていれば、能「百万」は100倍楽しめます!
次回は2年前に発見されました「百万絵巻」(室町期の物)について書いてみます。
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