11月12日 第28回 横浜かもんやま能
掃部山(かもんやま)について
かもんやま能は横浜能楽堂が出来るまでは掃部山(かもんやま)公園の広場で薪能として行われていました。
パンフレットによりますと、昭和59年9月に観世栄夫総合演出のもと「かもんやま薪能」として開催され、平成9年に横浜能楽堂ができてからは「横浜かもんやま能」として今日にいたっているとあります。
昭和59年といえば、私が銕仙会に入門(八世観世銕之丞先生の内弟子)した年になります。
ということは私はこの道に入って28年目なのですね。
”光陰矢のごとし” 無情にも年月だけが年ごとに拍車をかけて過ぎ去っていますが、、、(-_-;)
掃部山(かもんやま)公園は、横浜・桜木町の紅葉坂を登ったところにあり、園内には井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の銅像が横浜湾を見下ろすように立てられています。
彦根の藩主・井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)は、江戸幕府の大老となって日米修好通商条約を結び、横浜港の開港に大きな貢献を果たしことから、井伊家の人たちがこの地に掃部山と名づけた公園を造園し、直弼の銅像を立てたものです。
現在は掃部山公園自体が横浜市に寄贈され、横浜西区が主催して「かもんやま能」が行われています。
ですので「かもんやま能」は井伊家にゆかりある能楽の家が出勤しています。
直弼は書画から武術にいたるまで非常に多趣味の人物で、能に関しては能面を打つほど造詣が深く、狂言は自作の作品を茂山千五郎に演じさせていたそうです。
話によりますと、井伊家のお抱えの能楽師は喜多流で、観世銕之丞家は直弼の後継者に能の手ほどきをしていたようです。
その関係から、「かもんやま能」は必ず能は喜多流と銕之丞家、狂言は茂山家が出勤しています。
第28回 横浜かもんやま能
番組
能楽師による実技と解説 柴田稔 笠井賢一
狂言 「文蔵」 茂山千五郎
能 「松風」 観世銕之丞
前置きが長くなりました。
さて当日上演に先立ちまして、私はまず解説のところに登場しました。
持ち時間は25分。
銕仙会のプロデューサー笠井賢一さんがまず「かもんやま能」の由来を説明し、これが15分。
そのあと私が出てゆき、会場のみなさんと一緒に謡いを謡うという内容です。
私の持ち時間はなんと10分だけ! これは少し短すぎます。
しかも強い謡と弱い謡い(あまり表現が良くないですが)の2種類を紹介して、会場のみなさんと謡うようにという注文でした。
選んだ曲は「高砂」の待謡と当日演じられた「松風」のキリの一部分。
会場は満員のお客さまで老若男女合わせて480人。
それぞれ一小節ほどしか謡えませんでしたが、みなさん思ったより積極的に声を出されていて、480人の謡いの大合唱は圧巻でした!
〈こぼれ話〉
あまり言いたくはなかったのですが、
じつは高砂の「待謡」を説明しているとき、祝言の時にはこれだけ言葉を変えて謡うことがありますという話をしました。
11月4日のブログで紹介した内容です。
言葉が少しづつ違うので間違いやすいんですと言った直後、通常の待謡をお手本として謡ったのですが、祝言の式の言葉が頭をよぎり、一か所間違ってしまいました。
間違いがすぐに分かったか、お客さんは大喜びでした。
ギャグのネタとなったようで、許していただきましょう。(^o^)