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[ 2011年 01月 27日
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1月24日
昨年12月7日、観世寿夫師の命日に行われた「清雪忌」のおり、早稲田大学教授・竹本幹夫氏がこんなことを言われました。
「現在の能は、大きな曲がり角に来ていると思います。
そのひとつの要因が、言葉の障害です。
現代人とって、能を見ても言葉が理解できないから、能がわからない。
私のような研究者でも、台本を知らない新作能を見ると、言葉が理解できないから、どんな内容の物語か分からない。私ですら分からないのだから、一般の人はもっと分からないはずです。
そんな言葉の障害に対して、観世寿夫さんは、世阿弥の書物と向かいながら、彼なりの取り組み方をしています。
そんな観世寿夫さんが世阿弥の書物をどのように読み、それを舞台にどのように反映してきたか、
観世寿夫の眼を通して、世阿弥を読むことはとても意義があることだと思います。」
『観世寿夫 世阿弥を読む』というタイトルで、4回講義が行われることになりました。
講師は竹本幹夫氏です。 場所は銕仙会の4階の会議室。
第1回目の参加者は、一般の方が30名ほど、能楽師が10数名、合わせて40数名の参加者でした。
講義に使われるテキストは、故・荻原達子氏編集、『観世寿夫 世阿弥を読む』(平凡社発行の文庫本)という本です。
この著書は観世寿夫全集(4巻)の中から、荻原達子氏が寿夫師が世阿弥に言及されたものを選んで編集されました。
『観世寿夫 世阿弥を読む』は全集のタイトルごとに4つの章に分かれ、
第1章 「世阿弥の世界」 第2章 「仮面の演技」 第3章 「伝統と現代」 第4書 「能役者の周辺」
今回の講義は、この4つの章を4回に分けて読んでいくという計画です。
第1回の講義内容は、「世阿弥の世界」でした。
『観世寿夫 世阿弥を読む』 第1章 「世阿弥の世界」をすでに読んでいるという前提のもとでの講義です。
竹本氏が清雪忌で話された言葉の障害に対して、観世寿夫師の考えが紹介されました。
【夢想真如】の項
「(能は)ことばにたよるより、音と動きといった、より抽象的なものによって、はるかに微妙で深遠な美しさを表出することを考えついた。」
「能の美しさはドラマを超越したところから生まれて来るところの生命感といったものと考えます。」
「能には極めて単純ではありますが、一曲の筋書きがあります。しかしそのストーリー自体は、たんにその曲に入って行くための手掛かりに過ぎないので、曲の進展にしたがって表面的な筋書きはどうでもよくなって、たいした問題ではないといったものになってしまう事が多いのです。
そして単純な笛の音、大小の鼓のカケ声やリズム、それに伴った意味のない動き、これらの音と動きの流れに沿って謡われる歌、それは歌というよりも、むしろ一種の呪術的な祈りの言葉に近いものとなるのです。
この状態においては、もはや歌詞の意味はたいした問題にはならなくなってしまうのです。 」
つまり、能の言葉は呪術的な祈りとして受け止め、能は音楽性や舞踊性を重視した演劇だというのです。
「能の美しさはドラマを超越したところから生まれて来る。」
これが観世寿夫師の最終見解です。
余談ですが
、能楽堂でよく謡本を開きながら舞台をご覧になっている方がおられますが、「ドラマを超越した美しさ」、それが能なんだと信じて、これからは謡本を閉じてご覧いただきたいです。<(_ _)>
この他にも今回の講義で勉強になることはとてもたくさんあり、非常におもしろかったです。
参加費は無料です。
次回からの講義、ぜひ一度参加してみてください。
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by shibata-minoru
| 2011-01-27 02:05
| 柴田稔日記
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Comments(2)
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