能「嵐山」について
本番は明後日に迫ってきました!
最近、間際になってからのアップでジタバタしています。(笑)
上の写真は、昨年の秋、野宮神社を訪ねたときに、嵯峨野の原から嵐山を眺めた景色です。
(残念ながら桜は咲いていませんが)
今日は能「嵐山」の作品の背景について書いてみます。
・嵐山の桜について
・作者・金春禅鳳について
・嵐山の桜について
嵐山の桜が、吉野の桜を移したものだということは、「嵐山」の謡本に書かれていますので、そうなんだ、
と漠然と思っていましたが、嵐山の桜はいつごろから有名になったのでしょうか。
謡本の解説書の説明では、
後嵯峨天皇(1220~1272)の時代に、嵯峨野に亀山離宮が造られ、ここに吉野の桜を移植されたと書かれています。
後には、嵐山の桜も吉野から移植されたと言い伝えられてきたようなのです。
(亀山は、嵐山のすそ野に流れる大堰川(おおいがわ)の対岸にあります。)
後嵯峨天皇は、
「亀山の仙洞に吉野の桜をあまた移し植え侍(はべ)りしが 花の咲きけるを見て」
『春ごとに 思いやられし み吉野の 花は今日こそ 宿に咲きけり』 (新古今 後嵯峨上皇)
嵯峨天皇の孫にあたる後宇多天皇(1267~1324)の時には、すでに嵐山にも桜が咲いていたようで、
『嵐山 これも吉野や 移すらん 桜にかかる 滝の白糸』 (新千載 後宇多天皇)
いずれにせよ、鎌倉後期には嵐山の桜は有名になっていたようです。
・作者・金春禅鳳について
前回のブログで、能「嵐山」の作者は”後シテに重きを置いていない”と書きました。
これについて説明します。
能「嵐山」で一番華やかな場面は、なんといっても後ツレの木守の神と勝手の神が現れて“神遊び”を見せるところだと思います。
この後ツレ2人の役は、もともとは子方の役だったそうです。
作者の金春禅鳳(ぜんぽう)は孫のために「嵐山」を書いたとされています。
「孫に花を持たせて、自分は控えめに演じる」
このように解釈すると、この作品の目的が理解できます。
後シテに舞ごとが無いのもうなずけるのです。
嵐山に咲く満開の桜と、、華やかな舞姿の子方。
この二つが作品のテーマのようです。
それをいかに引き立たせることができるか、これも私の(シテの)今回の大きな役目だと思っています。
(今回は子方ではなく大人が演じますが。)
いずれにせよ、今年の銕仙会の能は「嵐山」から始まります。
こと始めの大事な役割です。
頑張って演じたいと思います。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-15300567"
hx-vals='{"url":"https:\/\/aobanokai.exblog.jp\/15300567\/","__csrf_value":"121bc82ea21fdbaf5b6738edbea4e7ff5a3c9b3cdac3918c128dd4a7d825d474aff5a2c7c27a1bb4f6dc3c46d6708f227025c89d77772842e1b2a480d76dc183"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">