【秋風の吹くにつけてもあなめあなめ 小野とは言はじ薄生いけり】
(秋風が吹くにつけて、とても痛はしいことだ。かつての小野小町の栄華な面影はなく、ただ薄(すすき)が生い茂っているばかりだ)
「通小町」の後場は、深草少将と小野小町の霊が現れ、百夜通いの様を見せるというものでした。
前場では、小町ひとりだけが現れ、髑髏伝説の基になった歌の言葉を引用し、自分は小町の化身だと匂わせながら消えていきます。

頃は秋、八瀬(比叡山西麓)の僧庵に木の実をたずさえた女が現れます。
(実際の舞台では写真のように、かごを持って現れ、中には葉っぱが入っているだけで、木の実は入っていません!)
僧に木の実を捧げ回向するといった、とても慎ましやかな情景です。
美辞麗句を並べ立てて、木の実の数々を語る場面は前場のメインになる所で、このあとすぐに中入りになって前場は終わります。
《写真は「通小町」、前ツレ柴田稔 平成17年2月17日 銕仙会例会 撮影 駒井壮介 》
ツレ「恥かしや己が名を」
地謡「
小野とはいはじ。薄生ひたる市原野辺に住む
姥ぞ。跡弔ひ給へお僧とて かき消すように失せにけり。かき消すように失せにけり」
ワキの僧が、「小野とはいはじ。薄生ひたる」という言葉から、
『秋風の吹くにつけてもあなめあなめ 小野とは言はじ薄生いけり』
この小町の歌を連想し、いまの女は小町の化身だったことを確信するのです。
零落し、変わり果てた小町の姿を偲び、あとを弔います。
それによって小野小町と深草少将と霊が現れ、後場の展開となっていきます。
前場はただこれだけで、常のように後場で展開される物語を語ったり、暗示したりしません。後場との関連性があまりありません。小町に関しても、この歌が詠まれるだけです。他にはまったく説明がないので、この歌の真意や小町のことをある程度予習しておかないと、この能の前後の関連性は理解しがたいかもしれません。
この「通小町」の配役ですが、前ツレー小野小町の化身、後シテー深草少将の霊、後ツレー小野小町の霊となっていますが、実際には前場では小町しか現れないので、前ツレというよりは、前シテー小野小町の化身という捉え方をすることが多いです。写真でツレが着ている装束ですが、紅白段模様の唐織は通常シテが着るものです。これはツレの役に重きを与えている、その結果だと思います。役者もこの点を考慮して勤めなければならないところです。
さて、ここまで話を進めてきて、おかしな現象が一つあります。
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気づかれたでしょうか。
わざと黄色で
姥としました!
答えは次回に!