「半蔀」の常識
「半蔀」は源氏物語の夕顔の巻を原典に描かれていますが、
半蔀と聞いただでは、この作品がどういう内容のものか、現代の私たちはなんの想像もできません。
また「半蔀」の作品を追ってみても、その主人公が源氏物語の夕顔だとわかるのは、前場の最後の部分において、『五条あたりの夕顔』と、なんとなくぼかされながら描かれているにすぎません。
では「半蔀」が演じられた室町時代の人々も、現代の私達と同じ感覚でこの作品を眺めていたのでしょうか。
答えは、”ノー”だと思います。
能「半蔀」の作者は、作品の冒頭部分で素早くこの物語を暗示させています。
当時の人に常識と、教養心をくすぐっているのです。
「半蔀」では、まず初めにお坊さんが登場し、
『これは都、紫野・雲林院に住まいする僧にて候』と名乗ります。
なぜ雲林院のお坊さんが出てくるのか、
当時、雲林院は天台宗のすこぶる栄えた巨刹(きょさつ)だったようですが、
(今は観音堂だけが残るごく小さなお寺です)

じつはこの雲林院に、源氏物語の作者、紫式部のお墓があり、このことは当時の人にとっては常識だったようです。
ですから、『紫野・雲林院』と聞いただけで、この「半蔀」は源氏物語の話なんだな、と判るのです。
次に、
このお坊さんは花の供養をおこなっていて、そこに白い花を携えた女性が現れます。
この女性を見て、
『白き花の、おのれひとり笑(えみ)の眉(まゆ)を開けたるは・・・』
と、源氏物語・夕顔の巻そのままの文章を引用して、お坊さんは女性に語りかけます。
ここまでくれば、この「半蔀」は、源氏物語の夕顔の話ではないのかな、と思うわけです。
お坊さんのこの問いかけに対して、女性は、
『これは夕顔の花にて候』と答えます。
これで「半蔀」の主人公が”夕顔”だと分かり、”夕顔の花”の供養を願うことは、つまり亡き自分(夕顔)の弔いを申し出ていることになります。
これで能「半蔀」の物語がなんとなく想像できるのです。
つまりこれらのことは、当時、能を観る人の常識だったのです。
あと、これはかなりマニアックのことかもしれませんが、
「半蔀」、その名前の由来は、源氏物語の「夕顔の巻」に、
『この家のかたはらに、檜垣(ひがき)といふ物あたらしうして、上(かみ)は半蔀四五間ばかりあげわたして…』
とある、この部分から取っているのですが、
半蔀と聞いて、すぐに源氏物語だと思い浮かべる、超文学オタクがいたかもしれません。
室町時代、能を観ていた教養人にとって、源氏物語の話は周知のことだったのでしょうが、現代人にとってはそうはいきません。
次回では夕顔とはどんな女性だったのか、当時の常識だったことを押さえてみます。