昨日
青山能があり、能「通小町」が銕仙会の舞台で上演されました。
この作品は小町伝説のなかでも、とくに有名な百夜通い(ももよかよい)の説話を取りあげています。
深草少将の霊と小町の霊が現れて、百夜通いの様を見せる能です。
この日、地謡座から橋掛かりに現れたシテ・深草少将の姿を見て、能面の持つ力の強さというものを改めて感じさせられました。

四位少将役にはこの写真のような「痩男」といわれる面を使用します。
(この写真の「痩男」は友閑作ー銕仙会蔵ーで、昨日使われたのは近江作でした。ともに17世紀、江戸時代のものです)
「痩男」も面によって多少の違いはありますが、基本的にはこの写真の面のように、眼がくぼみ、頬の筋肉は落ちて頬骨は高く突き出し、眉もひげの毛髪もとても弱々しく、憔悴しきった死相ただよう顔立ちをしています。また眼球に金具がはめられた眼の表情からは、死後の世界までも苦しみから解放されない、そんな様子が感じられます。
逆に言うと、怨念を持ったまま死んでいった死者が眼を開けると、こんな顔をしているのかもしれません。
能ではこの「痩男」の面はかならず、亡霊を意味する黒頭(くろかしら)と共に使います。獅子舞のときに使う赤いかしらの黒いものを想像してください。
(
銕仙会のホームページでこの日の「通小町」の写真が多数紹介されます。それを参考にしてください。いつも更新が遅いのですが!)
この黒頭の前髪で「痩男」の面は顔の半分近く覆われ、毛のすき間から顔を窺うことになります。これによってこの「痩男」の面はずいぶんと印象が変わってきます。亡霊の怨念が明確に、よりいっそう強く現れるのです。
この日、橋掛かりに佇むシテ・深草少将の姿がある時、黄土彩色のこの面が青白く陰惨な感じに見えました。このシテが発するオーラーというものを感じたのです。それはとりもなおさず,
このシテが役に集中して、能の時間のなかに入っていった結果によるものだと思います。
私の独断ですが・・・・・。
能面はそれを使う役者によって、たとえ同じものでも随分と印象が変わってみえます。
良い面が舞台で必ず良く見えるとは限りません。
面を生かすも殺すも役者の力量にかかっています。
次回は、深草少将がこの「痩男」にまで追いやられた怨念というものを、「通小町」の作品のなかから探って生きたいと思います。