いよいよ明日が本番です。気晴らしに更新しました。
平宗盛と熊野の一行は牛車に乗って花見に出かけました。
当時牛車は橋を渡ることができなかったので、鴨川手前で牛車を乗り捨て、橋は輿に乗って渡り、そのあと牛車を乗り換えて清水寺に辿りついたとされています。
またまた本邦初公開です!(笑)
熊野が花見をした平安時代の京の名所の数々が謡本に出て行きます。
下の青色のところを上の地図に表しました。
(能「熊野」より)
上謡(あげうた)・地謡
『
四条五条の橋の上①、四条五条の橋の上、
老若男女貴賎都鄙(きせんとひ)、色めく花衣、袖を連らねて行く末の。
雲かと見えて八重一重、咲く九重の花盛り、名に負ふ春の気色かな、名に負ふ春の気色かな。』
ロンギ 地謡とシテの掛け合い
『地
川原面(おもて)②を過ぎ行けば、急ぐ心の程もなく、
車大路③や
六波羅④の、
地蔵堂⑤よと伏し拝む、
シテ 観音も同座あり、闡提救世の、方便あらたに、たらちねを守り給へや、
地 げにや守りの末すぐに、頼む命は白玉の、
愛宕(おたぎ)の寺⑥もうち過ぎぬ、
六道の辻⑦とかや、
シテ げに恐ろしやこの道は、冥途に通ふなるものを、心ぼそ
鳥部山⑧、
地 煙の末も薄霞む、声も旅雁の横たはる、
シテ
北斗の星⑨の曇りなき、
地 み法の花も開くなる、
シテ
経書堂⑩はこれかとよ、
地 そのたらちねを尋ぬなる、
子安の塔⑪を過ぎ行けば、
シテ 春の隙行く駒の道、
地 はや程もなくこれぞこの、
シテ
車宿り⑫
地
馬留⑬、ここより花車、おりゐの衣播磨潟、
飾磨⑭の徒歩路
清水⑮の、仏のおん前に、念誦して、母の祈誓を申さん。』
名所の解説
四条五条の橋の上① 能「熊野」で花見で展開する場面は、鴨川を渡る五条の橋の手前から眺めた景色から始まります。
川原面(おもて)② 鴨川、東岸の河原のこと
車大路③ 十禅師の森(牛若丸が千本の刀を集めたところ)
六波羅④ 松原通り、大和大路の東方は「ろくはら野」といわれこれに六波羅という文字を当てた
地蔵堂⑤ 六波羅蜜寺
愛宕(おたぎ)の寺⑥ 今の珍皇寺に愛宕念仏寺蹟がある
六道の辻⑦ 珍皇寺の門前のこと。ここから小野篁(たかむら)が地獄の閻魔王庁に通ったとされているところ
鳥部山⑧ 六道の辻より東側が鳥辺卿でこのあたり一帯は当時は墓地だった
北斗の星⑨ 北斗堂のことで今はない。この地に因んで星野町という地名が今も残っている
経書堂⑩ 清水坂に今もある
子安の塔⑪ 安産を祈願する泰産寺の小さな三重の塔。今は清水寺境内の南に移されている
車宿り⑫ 牛車を止めた場所。清水寺北側の大日堂がその旧跡とされている
馬留⑬ 厩舎(馬小屋)のことで、清水寺境内に今もある
飾磨⑭ 鹿間塚のことで、清水寺鐘楼の手前の林を言った
清水⑮ 清水寺