PCがやっと回復しました。\(^o^)/
再セットアップしたので、始めから設定のやり直しにずいぶん手間取ってしまいました。
8月ブログのアップが止まっていましたが、これから挽回します!
昨日、三島卓ちゃんを偲ぶ会が青山の銕仙会の舞台で行われました。
彼が東京で教えていた東京大学、筑波大学、浦和一女高校のOBたちの有志17名が集まり、太鼓の独調が12番演奏されました。
(独調というのは、太鼓と謡だけで演奏することをいいます。太鼓の代わりに小鼓だったり大鼓だったりすっることもあり、囃子の楽器一つと謡で演奏する形態を独調と言います。)
楽器は一つだけですが、謡う人は何人いても良いわけで、右の写真では「羽衣」の独調で、謡いなれた曲なので参加者のほぼ全員が謡っていました。
三島元太郎先生はこの日のためにわざわざ大阪から上京され、みなさんの後見を勤めておられました。
(この写真の掲載は元太郎先生をはじめ、参加者の方から許可を得ています。)
この後の宴席で話題になったのですが、この日太鼓を打ったみんなの打ち方が、卓ちゃんに似ているのです。打ち方、かけ声が。
伝統芸能の伝承とはこういう形で残っていくのでしょうね。
能の世界に三島卓の芸はしっかりと生き残っています。彼が能と真摯に向き合って生きてきた結果たと思います。大切にしたいですね。
偲ぶ会のトリは実質の企画者だった西村高夫師が「融」の舞囃子を追悼として舞われました。
私はその地謡で参加です。
終わった後、近くのレストランで元太郎先生を囲んで直会。
卓ちゃんの思い出話をみんなが一言ずつ自己紹介代りに言うことになって、参加者はほとんどが卓ちゃんと師弟関係なので、師匠としての三島卓さんを熱く語っていました。
稽古は厳しかったようですね。特に覚えてかなかったら容赦はなかったとか。
でも稽古が終ると、みんなと飲みに行ったり食事に言ったりと、やさしい兄貴となったようです。彼にはとても人なつっこいめんがあります。
彼はパソコンの知識はプロ並みで、案の定、パソコンが全部で6台も出てきたそうです。またカメラも好きでそれもごろごろ出てきたとか。お父様は処分に困っておられます(笑)
少し余談ですが、夕刊フジの編集者から2カ月ほど前に私宛てにメールが来ました。
卓ちゃんが亡くなってから2週間くらい経ってからのことです。
私がブログで卓ちゃんの追悼の記事を書いたのをその編集者がご覧になって、今度三島卓さんのことを夕刊フジで取り上げることになった。ついてはこのブログの内容を引用したいので許可してほしい、そんな内容のメールでした。
私はお父様の元太郎先生が許可されるのであればかまわないです。と返事を出しました。
その記事が8月5日付けの夕刊フジに掲載され、私のところにも一部送られてきました。
このブログも少しは人の役に立ったのかと思うのと同時に、書く内容には責任を持たなければならないと痛感しています。
上の写真で中央のものは、夕刊フジでも紹介されていますが、今年4月6日、国立能楽堂のそばにある鳩森神社で、「高砂」の一調を打っている三島卓さんです。この横で元太郎先生が謡をうたっておられるそうです。
親子で一調を行ったのですね。これが卓ちゃんの最後の舞台になったそうです。
元太郎先生としては宝の思い出になったことでしょう。