5月8日(金) 銕仙会定期能 「歌占」
3 シテ、ツレ、子方の応対ー白髪の説明と歌占い
ここは前半のみどころ、男巫から里人と稚児が歌占いを引く場面です。
歌占いの前に、男巫はどうして白髪になったのか、その理由が述べられます。
・男巫が白髪の理由
まず里人が男巫に、あなたはどうして若くて白髪になっているかとの問いに対する返事です。(原文のまま)
『これは伊勢の国、二見の浦の神職なるが。
我一見のために、国々を廻る。
ある時にわかに頓死す。
また三日と申すに蘇る。
それよりかように白髪となりて候。
これも神の御咎めと、存じ候ほどに。
当年中に帰国すべきと、怠りを申して候。』 [上掛り(観世、宝生)の詩章]
白髪になったのは、「ある時にわかに頓死」したからで、それは「神の御咎め」によるものだとしています。
ではなぜ、頓死したのか、神罰が下されたのか、このところが全く分かりません。
このことは「歌占」の解説本ではよく指摘されているところですが、金春流のこの部分を紹介します。(原文のまま)
『我は伊勢の国、二見の浦の神子(みこ)にて候が。
回国の望みあるにより。
神に御暇を申さで。
諸国をめぐり候いし、その神罰にや頓死し。
三日と申すに蘇る。
その間の地獄の苦しみに、かように白髪となりて候。』 [下掛り(金春、金剛、喜多)の詩章]
観世流のものと比べると、その説明がとてもていねいで、観世流の疑問点が解決されます。
白髪になったのはー地獄の苦しみを受けたから
頓死したのはー神の神罰を受けたから
神罰を受けたのはー回国の望みがあって、神に暇を告げずに旅去ったから
観世流では説明されていなかったこと、これならわかります。
後半に地獄の曲舞を舞う理由も、ここで理解できます。
逆にいえば、この説明によってはじめて「歌占」の筋書きが理解できるのです。
なぜ観世流の本はこのことを省いたのでしょうか。
(ツレの名乗りのところで紹介しました、古謡本(元禄本)にもこの詞章はありません。)
一人で稽古しているとき、金春のこの詞章をかってに付け加えて謡ったりしています。(笑)
これも「歌占」の研究公演があればぜひ付け加えたいところです。
「歌占」をご覧になる時は、上の詞章をぜひ参考に、物語の筋書きを理解していただきたいと思います。
・なぜ神罰が下されたのか
伊勢の神職だった男は、神罰を受け頓死し、地獄を経験して白髪となった、ということが分かりました。
ではなぜ、神罰を受けたのでしょうか。
観世本では、「我一見のため、国々を巡る」 がその理由と考えられます。
金春本では、「回国の望みあるにより。神に御暇を申さで。諸国をめぐり候いし」がその理由です。
「神に御暇を申さで」とは、「神のお許しを得ないで」という意味だと思うのですが、そうすると、子が父の行方を追って訪ねてきたことを含めて考えると、この男は、
神のお許しを得ないで、神職を捨て家族を捨て、歌占いという芸人の男巫となってさすらいの旅に出かけた。
このことが神の怒りを受け、神罰が下ったという答えになります。
しかし神職を捨て家族を捨てるまでに追い込まれ、旅に出ずにはおれなかったこの男は、なんらかの大きな悩みを持っていたのではないのか。
生きることへの悩み、人生への不安、まるで”邯鄲の青年”のような”憂鬱”が感じられます。
「歌占」の作者・元雅は薄幸の人生を送りました。その自分の姿を「歌占」のシテに投影していたのではないでしょうか。
その悩める心が、あとの曲舞の、
「昨日も徒らに過ぎ、今日も空しく暮れなんとす」
という言葉に繋がっているような気がします。
「歌占」の本番まであと数日、このブログの解説はまたまた最後までたどり着かないかもしれません。
あしからず!(^.^)