第2回「声の力」 の公演のレポートはこれで3回目。
記憶の残っているうちにまとめておきます。
『大夫』 -義太夫と能の違いー
義太夫は「太夫」、000大夫は「大夫」と点のあるなしを使い分けているそうです。
(これは余談でした)
「大夫(たゆう)」、能の世界では観世大夫というように一座の座長のことを言い、また古くはシテ役のことを、今日の大夫は・・・などという使い方をしていたようです。
能ではシテが一番えらく、リーダーシップを取ります。シテの作る位を察知して、
周りの地謡や囃し方がそれに付き従い作品を作っていきます。
楽屋でもシテだけが床几に腰掛けることを許され、これはシテがどんなに若造のときでもそうです。そして全員が床几に腰掛けているシテに「よろしくお願いします」と挨拶をして舞台に出るのが慣わしとなっています。
遊女も最高位にある人を、「000大夫」と呼びますね、つまり一番偉い人のことを「大夫」というわけで、この理屈で言うと、文楽では義太夫の語り手が一番偉いことになります。
ここまで少々長い前置きでした。
「能では地謡はシテに向かい、シテを通して謡を謡うことが要求される」とのことに対し、
「義太夫は人形を見ません。人形の方がすべてこちらの『間』に合わされます」との返答がありました。
これは以外でした。
能ではシテ一人主義という言い方がされますが、同じように文楽は義太夫一人主義なのですね。シテが大夫、義太夫が大夫、なるほどうなずけます。義太夫の語っている姿は見ていて飽きません
そういえば劇場でも、義太夫と三味線は舞台上手の斜にせり出したところに座を占めて、お客さんに向かっていますよね、あれでは人形は目の当たりに見えません。お客さんもも義太夫の語り姿と人形と両方見ていると思います。
【実演】のレポート
義太夫からは
素浄瑠璃「一の谷嫩軍機(いちのたにふたばぐんき) ー熊谷陣屋の段ー」
素浄瑠璃「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ) ー酒屋の段ー」
素浄瑠璃「平家女護島(へいけにょごのしま) ー俊寛ー」
能からは
独吟「俊寛」
(能の舞台に義太夫と三味線が座布団の上に座っています。
これはなかなか見れない光景でした。)
「平家女護島(へいけにょごのしま) ー俊寛ー」は能「俊寛」の本を基に作られているので、
詞章が全く同じところがあります。そのところの競演がなされました。能の「俊寛」のクセの冒頭部分に当たります。
「平家女護島(へいけにょごのしま) ー俊寛ー」、語りだし『もとよりもこの島は、鬼界が島というなれば・・・・・』はまったく能の謡いそのものでした。途中で三味線が入り、義太夫独特の節回しの語りに入っていきました。そこからは詞が断片的にしか聞き取ることが出来なったですが、浄瑠璃がかもし出す世界は十分に堪能できました。言葉の意味は分からずともイメージは膨らみます。
この競演、一般のお客様にはどうように捉えられたのか、興味あるところです。
コメントいただければめちゃくちゃありがたいです。
あと感心したのは、浄瑠璃は興行だなとおもいました。
千歳大夫ははじめと終わりに両手を着いて深々とお辞儀をされます。
お客さんもそれにひかれ拍手をします。こちらも芝居を見る気持ちににさせられます。
能はと言えば、無愛想に事を済ませます。
謡っているときも義太夫のように顔に表情は出しません。謡っている姿を見ているだけではすぐ飽きると思うのですが・・・
少しサービス精神が足りないのでしょうか!?
いかがなもんでしょうか・・・・
次回は、2月15日。
オペラ歌手を招いて、「西洋と日本の声の表現力の違い」をテーマに行われます。