「自然居士(じねんこじ)」について ④ -現在の自然居士ー
観阿弥は能「自然居士」の主人公・自然居士を稚児姿で演じ、世阿弥も観阿弥本の中で、稚児姿にふさわしくない詞章をカットして、自然居士=稚児、このことをより明確にしました。
では現在ではどうかというと、稚児ではなく年輩の僧と設定して演じられていることが多いいいようです。
私の観て来た諸先輩の舞台や、能研究家が書かれている評論を基にしていっているのですが、
先日銕仙会の先輩に、
『自然居士の歳をいくつくらいに設定されていますか』、と質問したところ、
『27~8才かな、説法をしたり、大人の人商人と張り合うにはこのぐらいの歳でないとおかしい。
観阿弥が12~3歳に見えたというのは、さまざまな芸をする舞いの姿を見ての感想だろう。』
という回答を得ました。
これはまとを得た的確な捉え方だと思います。
一方では美少年の『喝食』の面を使って演じたいという願望もあり、矛盾を抱えながら役をこなすということも考えられます。
しかし私は観阿弥の演出(自然居士=稚児)で演じたいと思っています。
・少年が説法するということについては、
世阿弥作の『丹後物狂』という作品があって、稚児が出家して民衆の前で説法をするという場面があります。少年という立場で説教をすること自体、当時において別に特別なことではなかったのだと思います。ただしそれなりの素養を持った少年ということが前提になりますが。
・人商人とのやり取りについては、
現代で言うと、暴力団の幹部にじか談判する少年ということになるのでしょうか。
しかし、だから面白いのではないかと、私は思うのです。
小生意気な少年がこわい大人を言いくるめてしまう、そんな喜劇が目の前で展開されることを想像するだけで楽しくなってきます。
石井倫子(日本女子大助教授)氏は、アニメの「一休さん」さんがとんちで相手を言い負かす、そんなイメージが自然居士の人物にもあっていいのではとおっしゃっていました。
さすが大学の先生だけあって、目の付け所が違いますね。(笑)
というわけで、私は自然居士を17~8才の稚児というイメージで取り組みます。
銕仙会の所蔵するとりわけ美少年の『喝食』の面を使って、
「児姿は幽玄の本風なり」
これに挑戦です!