11日(水)、国立の公演でわれらがウルトラ尉・観世榮夫師が「花月(かげつ)」を勤められました。
先日の日曜日、「翁」の公演に引き続いての演能です。
今年に傘寿を迎えられる榮夫師、まさにウルトラ尉!ですね。
この「花月」という作品は、喝食(かっしき)僧の少年の役です。
これを演じるのは、それこそ無垢な少年がふさわしいのですが、少年の無垢な心を取り戻しつつある洒脱な老人が演じるのもひと味合っておもしろいです。
今回の舞台はまさにその洒脱な老名人の舞台でした。(^^♪
右の写真は私の息子が6歳のとき、舞囃子「花月」を舞ったものです。
(撮影者・吉越研氏)
大人がこの「花月」を勤めるときは、『喝食(かっしき)』(銕仙会所蔵)という面を使います。
『喝食』についてはこのブログで何度か取り上げましたが、喝食は禅寺で食事の世話をする稚児のことで、僧呂の恋人でもありましたから、優美な美少年なのです。
日本の絵巻物などでは、この少年の稚児が少女と見間違われることも度々あるそうです。
この『喝食』の面を見ると、なるほど、とうなずけます。
6月30日、
第6回青葉乃会で勤めます「自然居士(じねんこじ)」もこの喝食僧で、面もやはりこの『喝食』を使います。
(自然居士は花月よりは少し年齢が上なので、この作品は子供が演じることはありません。)
こんどの青葉乃会終演後に企画している座談会では、この稚児の面としての『喝食』を中心に話を進めていく予定です。
世阿弥がその伝書・「二曲三体人形図」のなかでの言葉、
『児姿(ちごすがた)は幽玄の本風なり』
この世界を少しでも垣間見ることが出来ればと思っています。