「邯鄲」を100倍楽しんで観る方法!
どこかで聞いたような言葉ですね・・・(汗)
きっと100倍楽しんでいただけるよう頑張ります・・・!(^。^)
能にはいろんな約束事があります。
このことは暗黙のうちに了承されているというのが現実で、ことさらその説明はされていません。
ここではそのことを少し解きほぐしながら、能「邯鄲」を100倍楽しく!、舞台進行にあわせて見て行きます。
この能は全体を三つの場面に分けることができます。
・盧生が真理を求めて旅立つ、迷いの世界。
・『邯鄲の枕』で見た栄華な、夢の世界。
・夢から覚めたはかない現実からの、悟りの世界。
「迷いの世界」
まず、地謡・囃子方が着座すると、後見が引き立て大宮をワキ座に運び組み立てます。
能「邯鄲」では最初に登場するのは邯鄲の里、宿屋の女主の間狂言です。このことを狂言口開け(くちあけ)といいます。
女主は枕を手に持ち、舞台で自己紹介をし仙人からもらった奇特な枕のことを説明します。
その後この枕を引き立て大宮の上に置き(客席側)、橋掛かり一の松(舞台に近い松)裏欄干側に着座します。
この時引き立て大宮は枕が置かれたことで寝台となりました。
さて「邯鄲」は中国の話です。
狂言の装束にもその工夫がされています。
女主は着流しの着物の上に「
側次(そばつぎ)」といって、腰元まであるチャンチャコのようなものを着ています。これは元は中国の官服を能装束に取り入れたようで、能では裾下をあげて武士、そのまま着て唐人用の装束として使用しています。
この側次を着ていることで、女主は唐人とわかる訳です。
次にシテの登場です。
狂言の女主が名乗った舞台の同じ場所で、シテは次第から道行まで謡い、邯鄲の里に着いた旨を言うのですが、このとき舞台には引き立て大宮の寝台が置いてあります。
狂言の女主がいるときには舞台は宿屋でしたが、シテの盧生のときには故郷の村から邯鄲の里への道行きの世界です。
この道行きの時に寝台(引き立て大宮)があるのはまったく理屈に合わないのですが、このような理屈にこだわらないのがいかにも能らしいのです。このとき宿の寝台(引き立て大宮)は見えないものとして捕らえなければなりません。
この矛盾を解決するために、替えの型として次のような演出があります。
狂言は舞台に居残って寝台の側に着座し、舞台は宿屋、橋掛かりは外の世界として、シテは一の松で次第から道行きを謡い、舞台の女主に向かって宿を請います。
このほうがごくごく自然で理に合うのですが、通常はこの方法をとりません。
伝統芸能の伝統の重みなのですが、これにはそれなりに理由があるのです。
舞台・三間四方の空間と、橋掛かり・一の松の狭い空間とで道行きを行う場合、明らかに舞台で行った方が広がりがでて効果的なのです。
理屈を無視して舞台で行う理由がここにあります。
さてシテの装束ですが、手に唐団扇を持っています。
このことからシテは唐人と分かります。
日本人であれば扇を持っています。
また掛絡(から)を身につけ、手には数珠を持っています。
これは法衣と法具で、即ち修行僧を現している事になりますが、頭には黒頭(くろかしら)をかぶっています。
黒頭は幽霊や怨霊などの霊体に用いるのですが、例外的に現在能では「弱法師」「邯鄲」に使われ、心に迷いを持つ、心が乱れているそんな様を現すのに用いられています。
このシテの姿は、見た目は修行僧なのですが、心は乱れ出家はしていないという事なのでしょう。
シテ・盧生は次のように言っています。
「われ人間にありながら佛道をも頼まず、ただ呆然と明かし暮すばかりなり」
この言葉を理解するにも、シテの装束が大きな手助けになり、
「佛道をも頼まず」は、仏教に関心がないというのではなく、出家をせずにいるということで、
この盧生の言葉は、出家もせず、人生の迷いを抱えたまま暮らしている、そんな意味になります。
シテはまず次第を謡うのですが、この次第というのはその作品のテーマを暗示しています。
決まってわずか3句の言葉なのですが、邯鄲の場合、
「浮世の旅に迷い来て。浮き世の旅に迷い来て。夢路をいつと定めん。」
その意味は、
『この世に生まれ、その人生に迷い、そのさまよいはいつ終わるとも知れない。』
こんなところです。
これはシテ、盧生の心そのものです。
この次第に始まり、名乗りから道行きに至るまで、非常にしっかりした位(くらい)で謡いこんでゆきます。重々しくも感じるところですが、これはシテ・盧生の迷いの深さの現われだと思ってください。
次回は盧生が夢見た栄華な世界を、100倍楽しく見ます! (^^♪