能の「邯鄲」は、中国・唐の時代(800年頃)に書かれた「枕中記」(ちんちゅうき)と、それを基に書かれたとされる「太平記」 巻25 『黄梁夢事』との、二つの物語を原本にしているとされています。
これら三つの物語を比較すると、「邯鄲」を書いた能作者の意図がよく分かって面白いです。
基本的な構想は同じで、ある男が不思議な枕の効力によって、夢の中で栄華の世界を体験し、目が覚めて現実の世界から何かを悟る、というものです。ここで、
・ある男の立場
・夢の内容
・目が覚めてなにを悟ったか
この3つのことを念頭に入れて物語を見て行くことにします。
まずは原典の「枕中記」のあらすじ。
邯鄲の里の宿屋に呂翁(ろおう)という道士が休んでいると、ロバにまたがりみすぼらしい格好をした男がそばにやってきて、貧乏な身の上話をし始めます。この男の名は盧生です。
「男に生まれたからには功をなし名を上げて、戦に出れば大将となり、朝廷にあっては宰相となるべきだ・・・。なのに今の有様といえば、30才になってもいまだに畑仕事から逃れられず、苦しい生活が続いている・・・」
この話を聞いた呂翁は、
「この枕で寝てみなさい。あなたの思いどうりの栄華をかなえてあげよう。」
と自分の枕を盧生に差し出します。
夢の内容は、
まず盧生は名家の娘をめとり、進士の試験に合格し官吏(かんり)となり、その後とんとん拍子に出世して、ついには宰相の地位にまで成上ることに。
しかしまわりの妬みから、逆賊として捕らえられ無実の罪をきせられます。
「私の田舎の家にはわずかだったが良い土地があった。百姓をしていれば寒さと飢えは防ぐことが出来た。なのになにを苦しんで禄を求めることをしてしまったのか、もう昔の生活に戻ることが出来ない。」と嘆き、自殺までしかけます。結局は妻に止められるのですが。
やがてはこの罪が冤罪であることが分かり、天子から深い恩領をうけ、波乱万丈の人生を送りはしたものの、その後は幸福な生活を送り、さいごは老衰には勝てず命を失います。
ここで盧生はあくびをして目を覚ますのです。
この夢の間は、宿の主人が黄梁(粟)を蒸し終わらない、わずかな時の出来事でした。
盧生「あー夢だったのか」
呂翁「人生とはこんなもんだ」
盧生「人生の栄枯盛衰をすっかり経験しました。これは先生が私の欲を防いでくださったのですね。ありがたく教えを受けます。」
と、何度もお辞儀をし、その場を去っていった。
このような話です。
貧乏から開放されたいと願う盧生は、夢の中で、波乱万丈の人生でしたが栄華を極めます。
目が覚めて思ったことは、栄華の儚さを悟り、欲を捨てて今の貧乏な生活を肯定し、その中で頑張って生き抜く事を悟ったのです。
今の人生を肯定しいかに生きていくかという、これは道教の発想です。
盧生は喜びに満ちて、家路に向かった事が想像されます。
この「枕中記」の話はきわめて現実的で、能の「邯鄲」と比較してもきわめて説得力があると思うのですが、
能の「邯鄲」は、この世ははかない夢だという、仏教の教えに基づく唱導劇として書かれている一面があり、かなり観念的なところがあります。
能の盧生は仏教に強い関心を持ちながらも、現世への野望を捨てきれません。その栄華の夢を見ることによって、人生のはかなさを知りこの世のむなしさを悟ったのです。
これは作者の思惑でしょうか。
能本の最後の言葉は 「望みかなえて帰りけり」 です。
どんな望みがかなって、田舎に帰った盧生はその後、どんな生き方をしたのでしょうか?
自分で「邯鄲」の稽古をしていて、最後に「望みかなえて帰りけり」と留め拍子を踏み、幕に引いて行くところがどうもすっきりしません。
その心持が分からないのです。
完全に唱導劇として「邯鄲」を捉えると、盧生はこの世のむなしさを知ることによって人生の野望を捨て、仏門に入ることになります。それが悟りであり、望みかなえてかえりけり、になるわけです。
あまりにも単純な発想ですが、これがこの「邯鄲」のメッセージだとすると、これほどつまらないものはありません、、、
次回は、太平記の「黄梁夢事」を紹介します。