14日の日曜日、愛知県豊田市の豊田市能楽堂で公演がありました。
豊田市はトヨタ市と書いたほうが良いかもしれません。(^.^)
車のトヨタで大いに潤っている市だと聞いています。ゆえに文化活動なども盛んなのでしょうね。
この日の演目は、
狂言 「棒縛」 三宅右近 右矩
能 「二人静」 梅若万三郎 紀長
( 森常好 一噌隆之 大倉源次郎 柿原弘和)
シテ、ワキ、狂言、囃子ともすべて東京からの遠征でした。
500席近い客席は満席の大盛況です。
私は研能会を主催されている万三郎師のお招きに預かり、今回万三郎家の方々に交じり地謡を謡わせていただきました。
能「二人静」ー兄頼朝に追われた源義経は吉野野山に逃げのび、この地で静御前と分かれることになりますが、その静の霊があらわれ、勝手神社の菜摘み女に乗り移り、その時のかなしげな別れの模様を舞って見せます。
舞台では静の霊と菜摘女、二人の舞い姿が見えますが、霊は菜摘女の影的存在で、菜摘女を霊力で動かしているという設定になっています。
実は二人で舞っているのではなく、一人で舞っているのです。ですからこの二人の動きが寸分たがわずぴったりと合っていなくてはなりません。理屈ではこうなりますが、実際は大変なことなのです。クセと序の舞を相舞(あいまい)します。時間的に言うと25分ほど。
ゆっくりとした動きなのですこしのずれでも非常に目立ってしまいます。
しかも面をつけての動きですから、お互い相手の様子がまったく見えません。
よほど細かく打ち合わせをし、稽古を重ねないと合うものではありません。
個人の癖は、間の取り方やタイミングの取り方など同じ仲間同士でもまったくといっていいほど異なります。
この二人静の舞ごとについて、
「面白く舞ったらだめで、つまらなく舞わないと合わない」といわれています。
自分の日ごろの舞い方を変えて、自分にとっては窮屈な舞を舞わなくてはなりません。
「労多く、功少なし」とはこのことです!
とくに二人の関係が師匠と弟子、親と子であれば、弟子と子はモーレツに大変です。
師匠と親に言われるがままに、動かなくてはななりません
逆に師匠と親は自分の舞をまっておれば良いのですが・・・(^_^;)
今回の梅若万三郎師親子、よく合っていたと思います。
さすが親子だなと感心しました。親が子に伝えた芸、根底は同じものですから共通項がいっぱいあって、うらやましいほどでした。
この相舞は大変な作業なので、立出ノ一声(たちいでのいっせい)という小書きをつけて、この相舞を極力避ける演出があります。
静かの霊が橋掛かりで床几に掛かり、舞台の菜摘み女をじっと見つめています。霊力を送り菜摘み女を操縦しているという設定です。
今週末、新潟でまたもや「二人静」があります。
こんどは大槻文蔵師(静の霊)と梅若六郎師(菜摘み女)の競演です。
どんな相舞になるのでしょうか。非常に楽しみです!!!
これもまた報告します。(^。^)