延岡城址二の丸広場にて、「天下一薪能」が行われました。
延岡は400年前に城下町として栄えた街で、今でもその文化が継承されているようです。
今年はこの薪能が始まって10周年記念ということで、二日間にわたり催されました。
この「天下一薪能」 を執り行なうのは、京都の片九郎右衛門師一門の方々です。
今回特別にゲストとして観世銕之丞師が招へいされ、私も同行させて頂きました。
この大規模な客席をご覧ください。3千人の収容数です。
これだけ大掛かりな薪能はほかにもありますが、私の知る限り、このように大規模な客席をすり鉢状に作られた会場はここだけではないでしょうか。
大阪城薪能、長良川薪能、新宿御苑薪能も数千人のお客様がご覧になりますが、それらは地面にシートが引かれてそこに座っての鑑賞です。
ここの舞台をはじめ客席はすべて地元の人たちのボランティアで作られたようです。中学生から高齢者に至るまでの地元の人たち総動員での作業だとか。
そんな話を聞くと、会場全体から熱い思いが伝わってきそうです。
舞台の背後には延岡城跡の「千人殺しの石垣」といわれている、大きな石垣がそびえています。
この「千人殺しの石垣」の名前の由来は、
この石垣は急勾配なので敵がたやすく登れずに、その間に敵を次々と討ち取っていく、それによってこんな名前が付けられた・・・
違います。
この石垣の左下の角の石を取り外すと、これらの石垣が総崩れになって敵は石の下敷きになって死んでしまう・・・
正解です。
その石を取り外す役目の藩士がいて、その役目はその家に代々伝わっていったそうです。
石を取り外すと自分もそれにうずもれるわけですから、まさに命がけの仕事ですね。
この石、今までに一度も取り外されることはなかったようですが・・・
しかし近代になって、天皇陛下がこの地を訪れられたとき、もしもこの石垣が崩れると大変だ!ということで、石垣が崩れないように固められたようです。