第17回青葉乃会 能「卒都婆小町」
9月6日に本公演を鑑賞するための事前講座を行いました。
青葉乃会チケット購入者限定の講座でしたが、私の予想を超え、70人を超すお客様がご来場になりました。
入場無料とはいえ、わざわざ時間をとって予定に入れていただくことは大変なことだと思います。
能の解説をして、当日の舞台につなげるということの大切さ、重要性というものを実感しました。
この事前講座におきまして、講師にお願いしました姫野敦子氏より新たな発見報告がありましたので紹介しておきます。
・餓鬼草子に描かれた卒塔婆
<講座内容Ⅰ小町が腰かけた卒都婆とは?>
能「卒都婆小町」は、年老いた小町が卒都婆に腰をかけたことが事件となって物語が展開してゆきます。
(「卒都婆小町」という曲名もこの事柄をとって命名されています)
『卒都婆』(現代では卒塔婆と書くのが一般的になっています)とは今の時代では、お寺で故人の法要を行ったとき墓石の後ろに建てる、戒名が書かれたあの細長い板の事のことを想像しますよね。
しかし、あんな板の上には腰かけることなんかできません!
痛(板)いよ! (-_-;)
「卒都婆小町」が書かれた室町時代では『卒都婆』は今とは違ったものでした。
能「卒都婆小町」の研究書では、この『卒都婆』は当時の「町石卒塔婆」を指していると報告されています。
この「町石卒塔婆」とは、高野山・金剛峯寺へ通じる道の道しるべとして1町ごとに建てられたもので今の時代に残っています。
室町時代には石で造られた卒塔婆でしたが、平安時代には石ではなく木だったようです。
卒塔婆はすなわち仏体を意味し、朽木となって倒れた卒塔婆に腰を掛けた小町が高野山の僧によって非難されるわけです。
通説では『卒都婆』は「町石卒都婆」のことだとされていましたが、じつはその正体は「町石卒都婆」ではなく餓鬼草子(平安後期から鎌倉初期に制作)に描かれた「卒塔婆」ではないかとの姫野氏の指摘です。
これが今回の新たな発見報告です!
餓鬼草子の卒塔婆には周りの人が手を合わせ、餓鬼道に堕ちた餓鬼たちが救いを求めるように卒塔婆に近寄っています。見るからに仏体だと分かりますね。
この卒塔婆が朽ちて倒れもとの形を失い、年老いた小町がこの朽ちた卒塔婆に腰をかけた。
想像の域でしかありませんが、説得力がある報告だと思います。
いかがでしょうか。