第17回 青葉乃会ー還暦記念公演ー 「卒都婆小町」~しおれたる花~
卒都婆小町は観世流では「そとわこまち」と読みます。
「卒都婆」という言葉は曲中に何度も出てきますが、
ワキの僧は「そとば」と発音し、シテの小町は「そとわ」と発音しています。
これは女性の発音に柔らかさを付けた結果だと思いますが、曲名もシテの発音に合わせ「そとわこまち」となっています。
【はじめに】
能「卒都婆小町」は、百歳の老婆になった小野小町を描いた作品です。
かつては美貌と才媛を誇った小町ですが、今では乞食となって街を彷徨うまでに零落しています。
しかし「心の花」だけは捨ててはいません。
世阿弥は花伝書のなかでこんなことを言っています。
『花のしほれたらんこそ面白けれ。されば花を極めん事、一大事なるに、その上とも申すべきことなれば、しほれたる風体、返す返す大事なり。』
<風姿花伝 第三問答より>
その例えを挙げて小町の歌を紹介しています。
『色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける』
<小野小町 古今集・恋五>
恋を失ってゆく孤独な女心を詠んでいます。「人の心の花」が「しほれたる花」となってゆくのでしょう。
能「卒都婆小町」はこの「心の花」と「しほれたる花」がテーマになっているように思います。
【舞台背景】
時:小野小町が生きていた平安時代
季節:秋
場所:摂津阿倍野(今の大阪南部)
【登場人物】 登場順
ワキ:高野山で修業を終え、神社仏閣を参拝のため都に向かう僧
ワキツレ:僧の仲間
シテ:老いた小野小町
【あらすじ】
高野山での修行を終え、都に向かう二人の高僧が道中でひとりの老婆と出会います。
老婆は朽ちた卒塔婆に腰を掛けて休んでいました。
僧はこれを見とがめ、卒塔婆は仏体と同じなのだから、そこを立ち退けと説教を始めるのです。
しかし老婆は仏法は平等無差別で、仏も衆生も隔てはない、善も悪も存在しないという根拠において、僧の言葉に一つ一つ反論し、ついにこの高僧を論破してしまいます。
(このやり取りが卒都婆問答と言われ、前半の大きな見どころとなっています)
続いて小町は高僧に自分の素性を明かします。
才色兼備で世の男性たちを魅了した昔も、今は乱れた白髪に破れ笠で身を隠し、人に物を乞う身まで零落した身を述べます。
ところが百歳の小町は狂ったように人が変わってしまいます。
若かりしとき男をもてあそんだその報いに、深草の少将の怨念が身に憑りついたのです。
この時点で小町は深草少将に変貌し、かつての百夜通いの様を見せます。
(深草少将の百夜通いが後半の見どころとなっています)
やがて我に戻り、後世を願うため仏法に帰依して終曲となります。
次回からは能「卒都婆小町」を7つのブロックに分け、それぞれの内容を具体的に紹介してゆきます。
銕仙会HPにも「卒都婆小町」について詳しい解説が紹介されています。