平成29年5月12日 銕仙会公演のために
能「忠度(ただのり)」
【登場人物】 (登場の順番に紹介します)
ワキ 都より西国に旅立つ僧
忠度の和歌の師である藤原俊成の家人で、俊成の没後出家した人物
ワキツレ 従僧(2人)
前シテ 老人
一の谷の戦いで討ち死にした忠度の亡霊
ワキの旅僧に忠度の供養を求めている
アイ狂言 須磨の浦に住む里人
忠度の墓標となっている「若木の桜」のいわれ、
千載集に忠度の和歌が詠み人知らずとして掲載された理由、
そして忠度最期の様子などをワキの旅僧に語る
後シテ 薩摩の守 忠度
忠度は死後の世界で成仏できない妄執を晴らすために、ワキの旅僧の前に現れ、
詠み人知らずになったことを嘆き、
俊成の息子・定家に作者である自分の名前を表記してほしいことを依頼する(※1)
討ち死にした場面の再現では、後シテは忠度→岡部忠澄→忠度と、役柄が変わっていく
【時】 忠度の死後、藤原定家が活躍した鎌倉時代の初頭。 桜の咲く春。
【ところ】 須磨の浦 忠度の墓標「若木の桜」のある辺り。 この「若木の桜」が重要なポイントとなります。
【あらすじ】
・前場
もと俊成の家人で、今は出家している旅僧が須磨の浦を訪れます。
山かげに咲く若木の桜を眺めていると老人があらわれ、この桜の木に供養の手向けを行い始めるのでした。
僧は一夜の宿を願い出るのですが、この花の陰に勝る宿はないと言い、
『行き暮れて 木の下かげを 宿とせば 花や今宵の あるじならまし』
と詠んだ平忠度がこの桜の木の下に埋められているのだと語り、
自分こそは忠度であるとをほのめかして姿を消してしまいます。
・後場
その夜、桜の下かげに仮寝している旅僧の夢の中に甲冑姿の忠度の亡霊があらわれ、
千載集に入選した自詠の歌が、朝敵のために詠み人知らずとされたことの妄執と、
これを定家に伝え作者名を明らかにしてほしいと訴えます。
そして都落ちの際、俊成に自分の歌集を託したこと、一の谷での最後のことを詳しく語り、
回向を頼んでこの「若木の桜」の根に帰ってゆくのでした。
次回は能「忠度」の見どころを紹介してみたいと思います。
※1 平忠度の念願がかない、初めて名前入りで入選したのが「新勅撰和歌集 巻第十三 恋歌三 854」
『頼めつつ 来ぬよ積りの 恨みても 待つより外の 慰めぞなき』 平忠度朝臣作
(期待させながら来ない夜が積りに積もった。恨んでみても待つよりほかに慰めなどないのだ)
新勅撰和歌集は藤原定家によって撰進され、1235年完成されている。
忠度は1184年に亡くなっているので、死後半世紀を経てようやく念願が叶えられたということになります。
写真は今回のチラシに掲載されてるものを編集しました。
忠度 観世銕之丞 撮影:前島吉裕
銕仙会のHPにも詳しい解説がアップされています。