2月28日 逗子能
<半能「高砂」について>
半能とは、能の前半をほとんど省略する演能形式のことを言います。
2012年7月6日 弘前城薪能 半能「高砂」柴田稔
「高砂」の場合、いつものようにワキが登場して次第を謡い、自分は九州・阿蘇の神主だと名乗ります。これから都に上ることにしているのだが、途中、播州・高砂に立ち寄るのだと言い、播州から高砂までの道行を謡い、高砂に到着することになります。
通常だとこのあと、シテ・ツレが登場して、「高砂」の主題となる『相生の松』のいわれをワキに説明してゆくことになります。
ツレのお婆さんが住む高砂の松と、シテのお爺さんが住む住吉の松は『相生の松』と言われ、この老夫婦は『相老の夫婦』とよばれ、「相生」と「相老」をかけて遠く離れていても、心は一つに繋がっていると、夫婦の永遠の愛を歌っています。
それには「相生」は相愛、長寿、繁栄を象徴し、国民の繁栄と平和を祝福しようとする作者の意図があります。
後半では住吉明神が現れ、当代の時世の繁栄を寿ぐ舞が舞われて終曲となります。
「高砂」の半能の場合、シテ・ツレが登場する前半部分がすべてカットされ、ワキが高砂に到着してすぐに有名な待謡「高砂や、この浦舟に帆をあげて~」となり、高砂から住吉に移り、後シテ・住吉明神の舞となります。
通常だと演能時間は1時間半余りかかりますが、半能だと20分ばかりで終わってしまいます。
半能「高砂」は、すっきりとした「祝言の曲」を楽しむにはよい演出だと思います。
1997年1月27日 青山能「高砂」柴田稔