今年の夏のおさらい会は小樽能楽堂で!
先日北海道に稽古に行ったおり、小樽能楽堂へ下見に行きました。
札幌で今年の3月から能の体験教室を始めました。
その生徒さんの発表会をかねて、札幌華友会のこども達と東京の華友会の有志が参加して、総勢30名ほどで、8月22日に小樽能楽堂でおさらい会を行います。
小樽能楽堂は屋外にあるため、夏の6月から8月までの三か月のみ一般開放されています。
舞台は保存状態がとてもよく、床は総檜作りで、足袋で歩くと吸い付くような檜特有のねばりを持っていました。
客席は能舞台の正面と脇正面側に別な建物があり、屋内から観るという構造になっています。
小樽能楽堂が夏季に使用する催しを紹介したチラシを配布しています。
チラシの中ほどに華友会の名前もありました!
<小樽能楽堂>について
小樽の豪商・岡崎謙氏が大正15年に自邸を建築した際、庭にこの能楽堂を建てました。今から90年前に建てられた舞台ということになります。
ご本人は宝生流を愛好されて、大正・昭和に活躍した宝生の重鎮を東京から招き、この舞台で度々公演が行われたようで、時には観世の家元の公演もあったようです。
岡崎謙氏没後、この能楽堂は小樽市に寄贈され、昭和36年に小樽公会堂に併設される形で移築されました。
現在は市が管理し、「旧岡崎家能舞台を生かす会」が能の普及にあたっているようです。
<小樽能楽堂のエピソード>
能「蝉丸」の公演についての事件
昭和9年、能「蝉丸」の上演自粛が打ち出された。
『「謡曲『蝉丸』の一曲は内容が史実に反し、しかも皇室の尊厳を害ふ〈ソコナウ〉が如き字句で充満してゐるから、これをこのまゝに放任するは国民として座視するに忍びないといふので、日本精神協会(会長菊池武夫男〔爵〕)理事森清人氏は七日午後内務省に中里〔喜一〕図書課長を訪問、『蝉丸』を廃曲にしてもらひたいと陳情した。』 (昭和九(一九三四)年二月八日付の東京日日新聞)
事実「蝉丸」の謡本は、この当時に発行されたものは、詞章が著しく書き換えられています。現在は元に戻っていますが。
こうした状況の中、宝生流近藤乾三師一行がこの年7月28日に「蝉丸」の上演を予定していました。
「曲の内容が不敬にわたるというので、右傾団が警察に持ち込んだのを、なんとか説得して当日は刑事の監視つきで上演した」 (近藤師回想)
昭和9年に小樽で「蝉丸」が上演されたあとは、昭和22年まで一度も上演されなかったようです。