10月11日
昨年6月、世界文化遺産に富士山の構成資産として指定された静岡県・三保の松原で薪能が行われました。
番組
能「清経」 観世銕之丞
狂「口真似」 山本則俊
能「羽衣・彩色之伝」 山本順之
今回で31回目を迎えるこの薪能は、毎回能の演目は二番行われ、能「羽衣」はこの三保の松原が舞台となっていますので、二番のうち「羽衣」は必ず上演演目になっています。
三保の松原には、天女が衣を掛けたたといわれる「羽衣の松」があります。
この「羽衣の松」を背景に舞台が組まれているのです。ステキですね。
「羽衣」が必ず上演されるのも納得です!(^-^)
三保の松原から見る富士山はことのほか美しく、多くの画家がここから眺めた富士山を描いています。
歌川広重
残念ながらこの日は曇っていて、三保の松原の海岸からは富士山が見渡せませんでした。
羽衣の天女は、この三保の松原から、浮島浜を通り、愛鷹山、富士山へと舞い上がり天上に帰っていくのですが、
この眺めが一望できるのを楽しみに出かけたのですが残念でした。
この三保の松原から、「神の道」といわれる松に囲まれた参道を通って「御穂神社」へと行くことができます。
「御穂神社」は羽衣の松を御神体として、天女の衣の一部が祀られているようです。
・能「羽衣」について
「羽衣」は能の中でも最も上演回数が多く、多くの人々に親しまれてきた作品です。
その理由としてあげられるのが、日本各地に伝承されている羽衣伝説を取り上げていること、それと天女の舞の美しさにあると思います。
また三保の松原の美しい春の情景が、それこそ美しい日本語で語られてゆきます。
能の作者は日本各地に伝わる羽衣伝説の中で、どうして舞台背景を三保の松原に選んだのでしょうか。
富士山と三保の松原は古くから和歌や絵画にも取り上げられ、景勝地として有名だったことがあげられますが、
大きな理由は天女の舞う「東遊の駿河舞」を能の中に引用したからだと思います。
「東遊」は雅楽の組曲のことで、「駿河舞」は「東遊」の中の一つとされ、天女が月の宮殿で舞う舞を地上で初めて舞ったのが「駿河舞」といわれています。
「駿河舞」の伝承は、安閑天皇()-の御世に駿河の国・宇土の浜で天女が舞を舞ったとされるのが記録として残っているようです。
宇土の浜は三保海岸より少し南に下ったところにあります。
「東遊の駿河舞」を景勝の地三保の松原に置き換えたのではないかと思っております。(私の独断です)
余談ですが、安閑天皇(466-536)は私が先日演じました「花筐」に登場する継体天皇の第一皇子にあたり、「花筐」のもとの詞章には、シテの照日の前が継体天皇と無事に結ばれ安閑天皇を産んで皇后になった、めでたしめでたしと締めくくっています。
世界文化遺産の三保の松原で、世界文化遺産の能を上演する公演に参出演できたこと、とても誇りに思っています!(^.^)/