能「花月」 清水寛二
狂言「樋の酒」 野村万蔵
能「道成寺」赤頭 西村高夫
響の会は銕仙会の兄弟子、清水寛二さんと西村高夫さんが主催されている会。
「道成寺」を披くときには、われわれ銕仙会では個人の会で演能するのが最近の慣わしになっていて、清水・西村氏も15年前にこの響の会を立ち上げられ、「道成寺」を披かれました。
(ちなみに私は「青葉乃会」で披いております)
今年の会は昨年の清水さんに引き続き、西村さんが「道成寺」の再演です。
能「花月」
7歳の時天狗にさらわれた少年は、日本国中の山々を巡りまわります。
親元から引き離されたかなしさ、しかしそれも次第に天狗との山巡りに興じていくにつれ、楽しげにも見えます。
(『親はなくても子は育つ』、ということでしょうかね。これを言い換えて『親があるから子は育たぬ』と言った文学者もいましたが、わが子を眺めていると、なるほどと大いにうなずけるところもあり、先人の言葉にただひれ伏すばかりです!
これは余談でした)
今は「花月」という名の、都では有名な芸能少年となって、門前の男に誘われるままに小唄を歌い、弓の芸を見せ、曲舞(くせまい)を舞い、鞨鼓を打ち、山めぐりの様を見せ、・・・といろいろな芸を披露します。最後には父親に再会することになりますが、これは付け足しみたいなもので、この能の楽しみはなんといっても花月の少年が見せるさまざまな遊狂の芸にあります。
(「花月」については、このブログ第一号の記事で紹介しています)
実は「花月」のおもしろさはこれだけではありません。
花月は「喝食(かっしき)」という面をつけます。なんとも妖艶な気配が漂っている面です。
喝食は禅寺で食事の世話をする有髪の少年のことで、彼らはお坊さんに性の相手もさせられ、美少年が多かったようです。
世阿弥は元服前のこの少年期(稚児)の頃を、
「童形なれば、なにとしたるも幽玄なり」(風姿華伝)
と最高の修辞をあてています。
これは時の将軍、義満に取り立てられ、愛されていた自分の少年期のことを言っているのだとされていますが、この「花月」も男色抜きでは考えられません。
「喝食」の持つ両性具有的な色気もここにきて理解できます。
能本の中では男色のことなどあからさまに出していませんが、
「来し方より、今の世までも、絶えせぬものは、恋といえる曲者」
と謡いながら、門前の男の肩に方に手をかけ舞台を一回りする場面があります。
この門前の男との関係がなんだか怪しいようです。
長い前置きになりましたが、この日の「花月」、シテは清水寛二さん。
恋人役!?の門前の男は、野村萬師。
花月の父親は、前日能「摂待」で機知にあふれた弁慶を演じられていた宝生閑師、囃し立てる笛は藤田大五郎師、今年九十歳の長老、なんと皆さん人間国宝です。大小の鼓は大倉源次郎さんと亀井広忠さん。今や超人気の囃し方。
熟練の芸と精鋭の芸に囲まれての舞台、羨ましい限りでした。
道成寺は次回!
(写真、「喝食」 銕仙会蔵 撮影 武川芳樹)